マーカーは芝東照宮です。
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増上寺、増上寺(安国殿)、増上寺(熊野神社)、増上寺(め組供養碑)、増上寺(鐘楼堂)、増上寺圓光大師堂(旧景光殿・旧広書院)表門、増上寺(徳川将軍家霊廟)、増上寺・御成門、有章院霊廟 二天門、台徳院霊廟惣門、大門
芝東照宮
[芝公園の一角にあり、元来は増上寺内の社殿であった。徳川家康が慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた「寿像」を、自身が駿府城に於いて祭祀していた。元和2年(1616年)家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。同年10月に着工し翌元和3年(1617年)2月に竣工した。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」より「安国殿」と呼ばれた。これが芝東照宮の起源である。その後、3代将軍徳川家光により寛永10年(1633年)に新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となった。寛永18年(1641年)には移転改築がなされた。駿府城より移築された惣門、福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居、本殿の周囲に拝殿、唐門、透塀が造営され豪奢な社殿が整った。明治初期に神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となった。明治6年(1873年)郷社に列した。本殿は大正4年(1915年)旧国宝に指定された。しかし、昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により「寿像」と神木のイチョウを残し、あとは全て焼失した。昭和44年(1969年)現在の社殿が再建された。
芝東照宮鳥居・wikipedia-photo
拝殿・wikipedia-photo
神木の大イチョウ・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、芝東照宮の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・芝東照宮より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「増上寺其四」(3-6)
増上寺其四(拡大図)
[絵画面中央の「安国殿」が芝東照宮の起源です。]
カメラ西方向が芝東照宮参道です。
芝東照宮拝殿前のカメラです。