久保田藩佐竹家下屋敷跡(浩養園跡)

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久保田藩佐竹家下屋敷跡(浩養園跡)
[浩養園跡
所在地 墨田区吾妻橋1-23
この地は常陸国谷田部藩細川氏・駿河国沼津藩水野氏・越前国福井藩松平氏・秋田藩(久保田藩)佐竹氏の屋敷として移り変わり、とりわけその邸内の庭が名園として聞こえていました。文政5年(1822)水野忠成の別邸となって、池を中心に石をふんだんに用いた林泉式庭園を築造。丘を築き、浅草寺五重塔・隅田川吾妻橋を望むものでした。万延元年(1860)佐竹氏に移り、浩養園・佐竹の庭として一層有名となり、明治23年から一般公開もされ、多くの人々の憩いの場ともなっていました。その後、明治33年(1900)札幌麦酒東京工場がここに設置され、明治39年(1906)には大日本麦酒吾妻橋工場となり、煉瓦造りの建物が庭園のなかばを占めました。大正9年(1920)の工場拡張やつづく震災によって、その面影は失われました。平成に入って墨田区役所・アサヒビール本社・住宅都市整備公団ビル等も建ち、現状のようになりました。 平成3年(1991)3月  墨田区  (「東京都墨田区の歴史-浩養園跡」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所大川ヨリ横川辺右石原北割下水迄 : 天保一一(1840)年八月ノ形」(絵図中央上方向に松平越前守(松平春嶽)が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図(嘉永五年・1852年)」(絵図左上に松平越前守(松平春嶽)下屋敷が描かれています。)

東京都立図書館アーカイブ – 嘉永新鐫本所絵図(安政2[1855]改正/文久3[1863]改)」(絵図右上に佐竹右京大夫(佐竹義堯)下屋敷が描かれています。)

カメラ西北西方向に久保田藩佐竹家下屋敷跡(浩養園跡)の説明板があります。

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