秋葉稲荷神社

マーカーは秋葉稲荷神社です。

秋葉稲荷神社
[秋葉神社は、当地周辺を五百崎の千代世の森と呼び習わしていたころ千代世稲荷大明神と称して正応2年(1289)頃に創建したと伝えられます。元禄15年(1702)に千葉葉栄が修験道千葉山満願寺を創建し当社の別当寺となり、秋葉千代世稲荷合社として社殿を造営、明治元年に秋葉神社と改称しました。  (「猫のあしあと – 秋葉稲荷神社」より)]

[江戸名所図会の秋葉権現社ではこの付近を庵碕(イホサキ)と称しているが、秋葉神社縁起では五百崎(いほさき)の千代世の森と称してる。五百もの洲や浅瀬や崎がある地域の意で、潮が引けばたくさんの島が遠浅の海面から顔を出す、そういう地形であることが想像できる。新編武蔵風土記稿によれば、この地はもと大河に接する地なれば浮地(うきち)の名であったのを現在(いま)の字の「請地(うけち)」としたとあり、中州だったとみえる請地村には秋葉大権現があり、遠州秋葉権現正応年間(1288~93年)に勧請して稲荷と合祀されたとされている。ここにも「水神」が祀られていて秋葉権現と合祀され、三囲神社同様に江戸の発達で稲荷が表面化したものが現在の秋葉神社とみることもできるのである。  (「67 – 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り」より)]

[火伏せ(防火)の神を祀る静岡県の秋葉神社を勧請して、正応2(1289)年に創建したと伝わる。江戸時代には江戸城大奥や諸大名の信仰を集めた。江戸中一の紅葉の名所。門前には料理屋も多く、参詣の人々で賑わった。
江戸名所図会を読む:
    秋葉大権現社(本文)
    請地 秋葉大権現宮 千代世稲荷社(挿絵)  (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「秋葉大権現社」より)]

国立国会図書館デジタルライブラリー – 〔江戸切絵図〕. 隅田川向島絵図」(絵図中央の右上方向・曳舟川と古川の交差点右上に秋葉山と秋葉神社が描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「秋葉権現宮千代世稲荷社」(19-12)、「秋葉大権現社解説・右ページ左から3行目より」(19-11)
秋葉権現宮千代世稲荷社(拡大図)

[社頭(しゃとう)に青松(せいしょう)丹楓(たんふう)おおし。晩秋(ばんしゅう)の頃、地水(ちすい)に映(えい)じて錦(にしき)をあらうがごとく奇観(きかん)たり。  (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之七 第十九冊」より)]

絵本江戸土産 – 請地秋葉権現境内(拡大図)

名所江戸百景[歌川(安藤)広重](請地秋葉の境内 (現在の墨田区向島の秋葉神社)・wikipedia-photo)

[請地村に千代世と呼ばれる森があり、そこには正応2年(1289)に創建された古びた稲荷神社があった。江戸時代の初め、善財という霊僧がここに秋葉大神の神影を刻んで社殿に納めたが、その後、元禄15年(1702)に本多氏の寄進によって立派な社殿が造営され、秋葉稲荷両社と称されるようになった。さらに別当として、境内に満願寺も建立された。
江戸図91 【安政3年(1856)実測復刻江戸図より作成】

この境内には、池や筑山などもあり、また秋の紅葉はとても有名だった。 江戸図にわざわざ紅葉マークがあることからもそれが分かる。また、寺社仏閣に付き物の門前町には、高級料亭も並び、鯉料理が名物だったようだ。第91景左手前の庵で写生をしているのは、広重本人だと言われている。秋葉神社の敷地は、満願寺を含み現在の10倍はあったことがわかる。第91景の描写地を特定することは困難だが、第91景の池と江戸図の池の形を比較して、※地点であると推定した。  (「第91景 請地秋葉の境内」より)]

[<名所江戸百景 請地秋葉の境内(広重)>

 広重の名所江戸百景に描かれています。
 広重自身も描かれています。
 境内に掲示されています。  (「江戸史蹟散歩 向島 秋葉神社」より)]

秋葉神社(向島) – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が秋葉稲荷神社です。

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