久留里藩黒田家下屋敷跡(椿山荘)

マーカーは椿山荘です。

関連リンク – 久留里藩黒田家上屋敷跡久留里藩黒田家下屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP701・コマ番号394/553から小島藩屋敷の変遷について記載されています。P703・コマ番号395/553「中屋敷 目白台 小石川区関口台町」がこの地になります。

[椿山荘(ちんざんそう)は、武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し神田川に面した地にあり、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていた。江戸時代久留里藩黒田氏の下屋敷だった。
明治の元勲である山縣有朋西南戦争の功により年金740円を与えられ、1878年(明治11年)に購入、自分の屋敷として「椿山荘」と命名した。山縣は椿山荘において趣味である作庭を行っている。
1918年(大正7年)には大阪を本拠とする藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、東京での別邸とした。太平洋戦争での戦災で一部が焼失したが、1948年(昭和23年)に藤田興業の所有地となり、その後1万余の樹木が移植され、1952年(昭和27年)より結婚式場として営業を開始した。1955年(昭和30年)に藤田興業の観光部門が独立して藤田観光が設立されると、椿山荘の経営は藤田観光に移管された。そして1992年(平成4年)に、敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が開業した。2006年(平成18年)5月には藤田観光の本社が敷地内に移転している。2012年12月31日をもってフォーシーズンズホテルズ&リゾーツ社との業務提携契約を終了し、椿山荘とフォーシーズンズホテル椿山荘 東京は、2013年1月1日より「ホテル椿山荘東京」に変わった。
2012年現在、庭園は一般公開されており、椿や桜など植物、史跡等を鑑賞できる。庭園の頂上に建つ三重塔は、元々広島県賀茂郡入野(現東広島市)の竹林寺の塔であったが、大正時代に強風にあって三層目が大破してしまったものを藤田平太郎が1925年(大正14年)に譲り受けて椿山荘に移築し、三層目を復元したもので、国の登録有形文化財に登録されている。塔の建立年代は繰形の特徴などから室町時代末期のものと推定されていたが、2010年から2011年にかけて実施された耐震改修工事の際の調査により、室町時代前期にさかのぼる木材が使用されていることがわかった。年輪年代調査の結果、1420年頃に伐採された木材が使用されていることが判明したものである。  (wikipedia・椿山荘より)]

国際日本文化研究センター – 嘉永新鐫雜司ケ谷音羽繪圖(安政4・1857年)」(絵図中央下・蓮華寺上に黒田豊前守(黒田直和)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [18]拾九利(嘉永五年・1852年)」(コマ番号6/7・絵図中央に黒田豊前守中屋敷、黒田五左衛門抱屋敷、永御預地と描かれています。)

東京市拾五区区分全図 第十壱 小石川区全図」(地図四つ切左下・蓮華寺左、関口町と台町42,44番地が久留里藩黒田家下屋敷跡と思われます。)

カメラ位置は椿山荘正門前です。