熊本藩細川家抱屋敷跡(肥後細川庭園)

マーカーは肥後細川庭園です。

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熊本藩細川家抱屋敷跡(肥後細川庭園)
[新江戸川公園(しんえどがわこうえん)は、東京都文京区目白台にある文京区立の公園である。改修工事に伴い新名称を公募し、2017年3月18日、「肥後細川庭園」に改称された。
当地一帯は江戸時代中頃まで幕臣の邸宅があったところであった。その後、幾度かの所有者の変遷を経て、幕末細川家の下屋敷になり、明治時代には細川家の本邸となった。1960年に東京都が当地を購入し、翌年には公園として開園。1975年、文京区に移管されて現在にいたる。当地付近は目白台からの湧水が豊富な地点で、その湧水を生かした回遊式泉水庭園を主体とした公園となっており、江戸時代の大名屋敷の回遊式泉水庭園の雰囲気を現在でも楽しむことが出来る。
主な施設
●回遊式泉水庭園
●松聲閣(松声閣、しょうせいかく) – 明治時代に細川家下屋敷跡に学問所として建設され、大正時代に改修された木造2階建(延べ床面積約500平方メートル)の建物。1959年に公園となって集会施設として活用されていたが、老朽化が進んだため、文京区が修復と耐震補強工事を行い2016年1月に完了した。
新江戸川公園入口・wikipedia-photo  (wikipedia・新江戸川公園より)]

[肥後細川庭園は、目白台の台地(関口台地)の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。この公園周辺は、江戸中期以降は旗本の邸地になり、江戸末期には清水家一橋家の下屋敷となりました。そして幕末には熊本54万石の細川侯の下屋敷に、明治15年には細川家の本邸(現在の目白台運動公園敷地)となりました。その後は東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管されました。平成29年3月に「肥後細川庭園」に名称変更しました。  (「肥後細川庭園 – 一般財団法人 公園財団ホームページ」より)]

肥後細川庭園ホームページ
肥後細川庭園図

新江戸川公園の桜 – 都内散歩 散歩と写真 – Gooブログ

熊本藩細川家抱屋敷資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 牛込小日向音羽町辺場末絵図(天保十三年・1842年)」(コマ番号3/6・絵図右下神田上水下に民部卿殿、松平駿河守(今治藩松平勝道)と描かれています。コマ番号6/6・絵図右上・神田上水右下に民部卿殿、松平駿河守が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [18]拾九利(嘉永五年・1852年)」(コマ番号6/7・絵図中央右に細川越中守(細川斉護)下屋敷、抱屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [17]拾九利」(コマ番号176/193「当時(嘉永五年・1852年)之形」で、細川越中守下・抱屋敷が描かれています。コマ番号170/193「延宝年中(1673年-1681年)之形」から175/193「寛政十三(1801)年之形」までには、清水家、一橋家の名は見当たらない。)

国際日本文化研究センター – 嘉永新鐫雜司ケ谷音羽繪圖(安政4・1857年)」(絵図四つ切左下に細川越中守(細川斉護)下屋敷、抱ヤシキ、細川ヤシキが描かれ、表門付近に鶴、亀と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 5号」(コマ番号2/6・絵図四つ切右上に「細川越中守」「細川越中守抱屋敷」が描かれています。)

松聲閣 – Google Map 画像リンク」、「肥後細川庭園 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が熊本藩細川家抱屋敷跡(新江戸川公園)です。

新江戸川公園内のストリートビューです。

新江戸川公園内のストリートビューです。

新江戸川公園南側のカメラです。

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