鬼子母神大門ケヤキ並木・雑司ケ谷之図 茗荷屋

マーカーは鬼子母神大門ケヤキ並木です。

鬼子母神大門ケヤキ並木
[天正年間(1573~92)に雑司ヶ谷村の住人長島内匠が奉納したという。1937(昭和12)年には18本あったが、現在は4本のみ。秋田雨雀らが保存会を結成し、都天然記念物に指定された。江戸時代には茗荷屋・蝶屋・耕向亭などの料理茶屋が軒を連ねた。
▲ 雑司が谷3-16-19  (「東池袋・南池袋・雑司が谷コース – 豊島区商店街連合会」より)]

[東京都指定天然記念物
 鬼子母神大門ケヤキ並木
    所在地 東京都豊島区雑司が谷三の一六・一九
    指 定 昭和一五年二月
 鬼子母神堂は、江戸時代から子授け、安産の御利益があるとされ、多くの参詣者を集めてきました。江戸後期には、将軍の御成もあったほど大いに繁盛しました。参道には名物の大きなケヤキ並木とたくさんの茶店、料亭などが並び、参詣土産には、現在も造られている「すすきみみずく」などが売られていました。かつては大径のケヤキが多く、荘厳な風景をかもし出していましたが、現在は徐々に若いケヤキに植え替えられ、巨木は4本のみです。毎年10月に行われるお会式(おえしき)には万灯行列が周辺を練り歩き、往時のにぎわいを伝えています。
平成二三年三月 建設  東京都教育委員会  (「江戸史蹟散歩 鬼子母神」より)]

江戸高名会亭尽(歌川広重) – 雑司ケ谷之図 茗荷屋「狂句合 茗荷のすひ口 野暮からぬ 田舎味噌 錦糸」(wikipedia-photo)

[江戸時代後期の宝暦(1751~64)頃から江戸には本格的な料理屋が出来はじめ、雑司ヶ谷(豊島区)の茗荷屋もその一つで、文政7年(1824)刊『江戸買物独案内』飲食の部の御料理( 3巻 15p )の中に「即席御料理 雑司ヶ谷 茗荷屋沖右衛門」とあります。
 雑司ヶ谷には安産と子育ての神として参詣人の多い鬼子母神(きしぼじん)があり、門前の左右には茗荷屋などの料理屋、茶屋、土産物屋などが軒を連ねていました。鬼子母神の北には法明寺があり、日蓮宗お会式の時には鬼子母神もとくに賑わいました。
 絵の正面の入口には「御料理めうがや」とあり、二階建が2棟見えます。入口の左手の塀に「仙女香 坂本氏」と書いた看板がありますが、仙女香は南伝馬町三丁目にあった坂本屋から売り出された白粉の名です。仙女香は、名女形瀬川菊之丞の名で売り拡められ、彼の俳名が仙女であったところからの名といいます。多くの出版物や版画などにも盛んに広告をし「何にでもよく面を出す仙女香」の川柳もあります。
 左端の母子連れの子供が持っているのは、鬼子母神土産のみみずくです。
 茗荷屋は即席御料理とありますから、注文に応じてすぐ料理を出す料理屋ですが、蕎麦もおいしかったのでしょうか。芝居好きで有名な隠居大名柳沢信鴻の『宴遊日記』は安永2年(1773)から天明5年(1785)までの日記ですが、雑司ヶ谷参詣の時には茗荷屋に寄って蕎麦を食べています。  (「江戸食文化紀行-江戸の美味探訪- no.165「雑司ヶ谷の茗荷屋」」より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「法明寺雑司ヶ谷鬼子母神堂」(12-50)
法明寺雑司ヶ谷鬼子母神堂(拡大図)

[図会左ページに鬼子母神堂、その下に鬼子母神大門ケヤキ並木、右ページ上に法明寺が描かれています。]

絵本江戸土産 – 雑司谷 鬼子母神 法明寺(拡大図)

鬼子母神大門 けやき並木 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が鬼子母神大門ケヤキ並木です。

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