マーカーは「神泉湯道」道標です。
「神泉湯道」道標
[さて、道玄坂上から始まる滝坂道は円山町の地名通りの小高い地形をさらに上ると、今度は急激な下り坂で神泉町の谷へ。まさに谷底の町を行きます。急坂あり、階段あり、崖ありで東京の地形の面白さを実感できる区間です。
神泉の地名は昔、不老長寿の薬を煉るのに用いる霊泉が湧き出していたという伝承に由来します。地形的にも湧水が存在したのは確実で、水は渋谷川の支流・宇田川に通じていたようです。
京王井の頭線(昭和8年開業)・神泉駅への道を右に入ると突き当たりには弘法大師像を刻んだ石柱があり、正面に「弘法大師・右神泉湯道」と彫られています。明治19(1886)年に建てられたものです。古くからの霊泉がいつしか弘法大師・空海が開いたものという伝説を生み、明治時代になると「弘法湯」という浴場ができ、その道案内です。
滝坂道をこのまま行くと、あとで立ち寄りますが、「淡島様のお灸」で有名になった森厳寺があり、江戸市中からお灸を目的に多くの人々が滝坂道を往来しました。そして、明治期になると淡島様の帰りに神泉の弘法湯で一浴するという習慣が生まれ、この道標が建立されたわけです。円山町から神泉町にかけて花街が発展したのもその影響と思われます。ただ、弘法湯は今はもう存在しないようです。 (「世田谷の古道・滝坂道パート1(渋谷・道玄坂~豪徳寺)」より)]
[神泉町
地名の由来
『江戸砂子』に「神仙水 八幡の西 むかし空鉢仙人此谷に来り不老長生の仙薬を練りたりと云霊水也此所を神仙谷といふ」とあり、『江戸名所図会』、『新編武蔵風土記稿』もこの説を採用している。近在の鉢山も空鉢仙人に由来する地名とされる。一方で、後世には弘法湯に見られるように弘法大師が湧かせた泉であるという話も広まったが、何れの説にしても伝説の域を出ない。 (wikipedia・神泉町より)]
「神泉湯(弘法湯)碑 – Google Map 画像リンク」
カメラ西方向に「神泉湯道」道標があります。