丹南藩高木家下屋敷跡(根津美術館)

マーカーは根津美術館です。

関連リンク – 丹南藩高木家上屋敷跡(財務省・中央合同庁舎第4号館)

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP611・コマ番号349/553から丹南藩屋敷の変遷について記載されています。「下屋敷 麻布笄橋 赤坂区青山高樹町」がこの地になります。

丹南藩高木家下屋敷跡(根津美術館)
[根津美術館は、東京都港区南青山にある私立美術館である。
東武鉄道の社長などを務めた、実業家で茶人の初代・根津嘉一郎の収集品を展示するためにつくられた美術館で、1941年(昭和16年)に開館した。藤井斉成会有鄰館大倉集古館白鶴美術館大原美術館などとともに、第二次世界大戦以前からの歴史をもつ、日本では数少ない美術館のひとつである。
美術館の敷地は江戸時代河内国丹南藩藩主の高木家の下屋敷があったところで明治維新後、荒果てていたところを1906年(明治39年)に根津嘉一郎が取得して数年がかりで造園した嘉一郎の私邸跡で、現在も広大な日本庭園があり、庭内には茶室が点在している。収集品は主に日本・東洋の古美術で、その高い質と幅の広さに特色がある。戦前の実業家の美術コレクションは茶道具主体のものが多いが、根津コレクションは、茶道具もさることながら、仏教絵画、写経、水墨画、近世絵画、中国絵画、漆工、陶磁、刀剣、中国古代青銅器など、日本・東洋美術のあらゆる分野の一級品が揃っている。嘉一郎の豪快な収集は、「根津の鰐口」と称されたという。収蔵品は2009年現在6,874件に及ぶ。なお、尾形光琳の「燕子花図屏風」は毎年4月下旬 – 5月上旬に公開される。
美術館は2006年(平成18年)5月8日から改築工事のために休館していたが、建築家・隈研吾の設計による新展示棟が竣工し、2009年(平成21年)10月7日に新装開館。新しいロゴデザインは、ドイツ・ペーター・シュミット・グループによって制作された。
根津美術館・wikipedia-photo  (wikipedia・根津美術館より)]

[青山高樹町は、江戸時代の河内丹南藩・高木邸とその他武家地を合併して1873年(明治6年)に成立した。町の名称は、高木氏の「木」を「樹」に代えたものである。
町域は、現在の骨董通りの東側半分の周囲から西麻布も含めた六本木通り周辺にかかり、現在では幹線通り沿いがブティックやオフィスビル、路地には高級マンションや邸宅が並んでいる。高樹町交差点の先には、日本赤十字社医療センターまで伸びる日赤通り商店街がある。
高樹町の一帯は明治時代以降も屋敷町であったが、1965年(昭和40年)に住居表示が実施され、南青山の一部となって消滅した。  (wikipedia・高樹町より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 青山辺場末絵図 : 寛保延享之頃(1741年-1748年)」(コマ番号2/3・絵図中央下方向、長谷寺の西側と南側に高木主水と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [12]拾七下(嘉永元年・1848年)」[コマ番号6/7・地図上中央に長谷寺が描かれ、長谷寺の下及びその右方向に高木主水正(丹南藩)下屋敷が描かれています。御放鷹御成御膳所圖で描かれる場所は長谷寺の下右・主水町(現在の骨董通り)右の屋敷地と思われます。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図(嘉永六年・1853年)」[絵図中央下・長谷寺の左上に高木主水正(丹南藩)下屋敷が描かれています。御放鷹御成御膳所圖で描かれる場所は長谷寺の左上、「主水丁(現在の骨董通り)ト云」の左側の屋敷地になります。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御放鷹御成御膳所圖文化11 [1814] [写]」(コマ番号21/99・高木主水正(丹南藩)下屋敷の絵図で、御放鷹御成御膳所としての長谷寺裏門(現在の表門)からのルートが描かれています。現在の骨董通り南側の絵図になります。)

東京市拾五区区分全図 第七 麻布区全図 – 特別区協議会」(地図四つ切左上に長谷寺が描かれ、表門道は東向き、裏門道が南向きに描かれ、長谷寺西側の赤坂区との境界線が高木家下屋敷跡の境界になると思います。)

東京市拾五区区分全図 第六 赤坂区全図 – 特別区協議会」(地図中央左端に青山高樹町が描かれています。そこが丹南藩高木家下屋敷跡になり、そこの右端の境界線が現在の北坂にあたり、この時点では道路はまだありません。)

根津美術館 – Google Map 画像リンク」、「閑中庵・牛部屋 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が丹南藩高木家下屋敷跡(根津美術館)です。

根津美術館日本庭園のカメラです。

尾形光琳 燕子花図屏風 左隻(尾形光琳) – 江戸時代(18世紀)、1951年(昭和26年)6月9日国宝指定(commons.wikimedia)

  
尾形光琳 燕子花図屏風 右隻(尾形光琳)(wikipedia-photo)

  
那智滝図 – 鎌倉時代、1951年(昭和26年)6月9日国宝指定(wikipedia-photo)

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