彦根藩井伊家下屋敷跡(明治神宮)

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    国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP930・コマ番号509/553から彦根藩屋敷の変遷について記載されています。P932・コマ番号510/553「下屋敷 千駄ヶ谷」がこの地になります。

    明治神宮
    [明治神宮は、明治天皇昭憲皇太后を御祭神とする神宮である。
    面積約70万平方メートルの境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国よりの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」武道場至誠館などがある。
    明治天皇は崩御後、京都の伏見桃山陵に葬られたが、東京に神宮を建設したいとの運動が天皇を崇敬する東京市民(当時)から起こり、1914年(大正3年)になると天皇に縁の深かったこの地への神宮建設が決定した。造営は翌1915年(大正4年)から開始され、全国から13,000人もの国民が労力奉仕に自発的に参加した。鎮座祭は、1920年(大正9年)11月1日に行われた。
    22万坪(約73ヘクタールに及ぶ広大な神域は、江戸時代初めには肥後藩藩主・加藤家の別邸であり、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となっていたもので、この土地が1874年(明治7年)、買い上げられて南豊島御料地となっていた。
    明治神宮は2010年(平成22年)現在、初詣では大晦日から正月三が日の間で300万人前後にものぼる日本一の参拝者を集めることでも知られる。
    境内は、内苑と外苑に分かれており、内苑には日本各地や朝鮮半島台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられた。1970年(昭和45年)の調査時には247種17万本となっており、都心部の貴重な緑地として親しまれているだけでなく、人工林が意図的に自然林化されたものとしても注目されている。この中には通常都心では見られないような生物が生息し続けており、動物学・昆虫学的にも非常に貴重な例となっている。
    神宮御苑
    明治神宮御苑(通称、神宮御苑)は江戸時代から大名下屋敷の庭園として使われ、明治時代に宮内省が所轄する南豊島御料地となり、代々木御苑と呼ばれた。ここは明治天皇と昭憲皇太后にゆかりの深い名苑であり、この地の風光をこよなく愛された皇太后はしばしば行啓されたほか、明治天皇は隔雲亭という御茶屋を建て、あずまやを作り、池には菖蒲を植え、回遊歩道を設けて美しい庭園とされた。
    隔雲亭は第二次世界大戦の末期、アメリカ軍による空襲によって焼失したが、戦後篤志家によって復元された。
    現在、苑内には隔雲亭(https://goo.gl/maps/CNxSHHDxG1F2)やあずまやのほか、お釣台、菖蒲田(https://goo.gl/maps/WCz4PCcgVrN2)、清正井などがある。菖蒲田のハナショウブ(花菖蒲)は明治天皇が昭憲皇太后のために植えさせられたといわれ、6月が最盛期である。また、11月下旬から12月上旬には、紅葉を愛でることが出来る。拝観は有料であり、料金は大人500円・16時30分閉門である。
    参道・wikipedia-photo、「フランス・ブルゴーニュから献納されたワインの樽」・wikipedia-photo、大鳥居・wikipedia-photo、「元日の初詣、大鳥居」・wikipedia-photo、鳥居・wikipedia-photo、元日の初詣南神門・wikipedia-photo、拝殿・wikipedia-photo、元日の初詣拝殿・wikipedia-photo、明治神宮御苑の花菖蒲・wikipedia-photo
    おみくじ
    明治神宮には、多くの神社にみられる「おみくじ」が存在しない。代わりに、くじを引き御製や御歌(明治天皇・昭憲皇太后が詠んだ和歌)を「大御心」として授かる。大御心を授けられた参拝者は、これを持ち帰り折に触れ詠み返すものとされており、おみくじのように境内に結んで残すことはしない。また、御製や御歌とその解説文のみしか記述していない為、吉凶も存在しない。そのため多くの神社に見られる「みくじ掛」も境内に存在しない。
    明治神宮の御神籤箱・wikipedia-photo
    清正井(https://goo.gl/maps/csWPVuRH2HM2)
    それまで、神宮御苑の一つの井戸であった清正井(きよまさのいど)であったが、テレビ番組にてパワースポットとして紹介されたことを契機に2009年(平成21年)12月25日から突如、人気を集めるようになり、産経新聞によると、数時間待ちとなることもあったという。
    清正井・wikipedia-photo、清正井(2016年8月)・wikipedia-photo  (wikipedia・明治神宮より)]

    明治神宮ホームページ
    明治神宮境内図

    ⑱ 代々木-ここに代々「樅(もみ)」の大木が育ち「代々木」という地名が生まれました。
    ⑲ 日本一の大鳥居、⑳ 御苑、㉑ 清正井、㉒ 菖蒲田

    渋谷区立図書館-渋谷区史年表」に、『寛永17年(1640)7月 – 代々木に彦根藩藩主・井伊家の下屋敷ができる。』と記述されています。

    国立国会図書館デジタルコレクション – [江戸図正徳四(1714)年](コマ番号3/5・絵図右上に井伊掃部頭(井伊直興)屋敷が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 市ヶ谷四谷青山代々木辺迄 : 寛保延享ノ頃(1741年-1748年)」(コマ番号4/6・絵図中央に井伊掃部頭(井伊直定)屋敷が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図(文久二年・1862年)」(絵図四つ切左上に「井伊掃部頭(井伊直憲)下屋敷」が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(コマ番号4/5・地図中央に「井伊掃部頭下屋敷」と描かれています。)

    今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室) 」 – 「首都圏」(1896~1909年地図を見ると明神宮建設前の状況がわかります。1917~1924年の地図で建設用地となり、1927~1939年の地図で明治神宮が描かれています。)

    明治神宮 一の鳥居 – Google Map 画像リンク」、「明治神宮 南参道 – Google Map 画像リンク」、「明治神宮大鳥居(第二鳥居) – Google Map 画像リンク」、「南神門 – Google Map 画像リンク」、「西玉垣鳥居 – Google Map 画像リンク」、「明治神宮夫婦楠 – Google Map 画像リンク」、「明治神宮 神楽殿 – Google Map 画像リンク」、「明治神宮 – Google Map 画像リンク」、「明治神宮御苑 – Google Map 画像リンク」、「隔雲亭 – Google Map 画像リンク」、「南池 – Google Map 画像リンク」、「清正井 – Google Map 画像リンク

    カメラ北方向が南参道です。

    カメラ東方向が奉献清酒菰樽で、カメラ西北西方向にフランス・ブルゴーニュから献納されたワインの樽があります。

    明治神宮神門前のカメラです。

    明治神宮神門前のカメラです。

    明治神宮拝殿前のカメラです。

    明治神宮拝殿前から神門方向のカメラです。

    隔雲亭前のストリートビューです。

    清正井前のカメラです。

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