マーカーは慧日山薬王院宝泉寺です。
宝泉寺
[宝泉寺は若者の集う街、渋谷と恵比寿の中間辺りに位置しています。
今でこそ寺のある周辺は賑いを呈していますが江戸の古地図には、かろうじて地名「この辺り渋谷村」とあり「寶泉寺」は名のみ記されています。また『江戸名所図会』には、隣の氷川神社と併せて紹介されています。神社には土俵があり奉納相撲等が盛んに行われたようです。
この寺の開基は、日本天台宗の基礎を築いた第三代座主慈覚大師円仁と伝えられています。1200有余年の歴史があると考えても良いと思われます。
本尊阿弥陀如来立像は、平安中期から
鎌倉にかけて日本浄土教の基礎となる『往生要集』などを著わした恵心僧都源信作と伝えられています。その造りは、鎌倉時代の作風をふまえた優美な姿を今に伝え、作者の仏教に対する造詣の深さ、極楽往生の願いを希求する姿勢が感ぜられ、拝む檀家や信者の方々に安心を与えています。
本尊阿弥陀如来とは別に「常盤薬師」として親しまれている薬師如来像も同時代の作として現存しています。この如来像は、常盤御前の守り佛(持彿)としていたのがここに祀られたと伝えられ、常盤薬師堂という御堂がありました。前述の『江戸名所図会』にもその名を残し、江戸時代に建てられた「常盤薬師堂」の碑が現存しています。
近年(戦後)お檀家で仏師の方が奉納された釈迦牟尼如来涅槃像も祀られるようになり、阿弥陀、薬師、釈迦の三尊仏として、衆生の生老病死の苦を癒し往生安楽の願いにも答えています。
寺をとりまく環境は当山をはじめ神社・仏閣・小・中・高・大という学校が多く集る場所でもあり、都会の中でも珍しい地域を占めています。
寺の庭は、名のある人が造ったものでもないのですが裏の小高い山を含む地形を生かし自然を残すようにされています。寺域へ足を踏み入れると心が落ちつく空間が保たれています。 (「慧日山薬王院 寶泉寺(宝泉寺) | 天台宗東京教区 公式サイト」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図」(絵図四つ切左下・氷川社の下に寶泉寺が描かれています。)
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上・「下渋谷」左上に氷川社、宝泉寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [12]拾七下」(コマ番号5/7・中央右上に寶泉寺が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「渋谷氷川明神社」(8-29)
渋谷氷川明神社(拡大図)
[渋谷氷川明神社右下に宝泉寺が描かれています。]
宝泉寺境内前のカメラです。