マーカーは東福寺です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上・「下渋谷野崎組」上に東福寺が描かれています。)
東福寺
[東福寺(とうふくじ)は、東京都渋谷区渋谷三丁目5番8号にある、天台宗の寺院。山号は渋谷山(しぶやさん)。
渋谷山親王院東福寺は、1173年(承安3年)円鎮僧正によって、武蔵国豊嶋郡谷盛庄(やもりのしょう)(『東福寺雑記』)といった現在地に開創されたと伝えられている。東福寺は開創当初から、隣接する金王八幡宮(渋谷八幡宮)の別当院で、渋谷区内最古の寺院である。
1500年(明応9年)に村岡五郎左衛門重義が記したという『奥書』のある『金王八幡神社社記』によると、当寺の草創を1092年(寛治6年)といい、1704年(宝永元年)に鋳造された『東福寺鐘銘』には、後冷泉天皇の御代と記されているが、今からおよそ8~9百年も昔のことで、その草創の時代は「すでに伝説の世界と交錯している」といってもよい。
1092年(寛治6年)、源義家が後3年の役の凱旋の途中この地に赴き、領主・河崎基家が秩父妙見山に拝持する日月二流の御旗のうち、月の御旗を請い求めて八幡宮を勧請した。そのおり、939年(天慶2年)の平将門の乱のとき源経基が宿泊したという家を改めて一寺となし、親王院と称して別当寺とした。これが東福寺の起立である。
沿革
●1046年(永承) – 1068年(治暦年間)武蔵の豪族・河崎基家、谷盛庄渋谷郷(現在地)に八幡宮を勧請。別当寺・親王院を建立。
●1070年(延久2年) – 円鎮生れる。
●1091年(寛治5年) – 源義家、金王八幡社を修理す。
●1092年(寛治6年) – 義家、平将門の乱のとき源経基が宿泊した宿所を一寺とし親王院と称す。
●1141年(永治元年) – 渋谷重家、子のなきを憂い八幡宮へ祈願し、8月15日、金王丸生まる。
●1156年(保元元年) – 保元の乱、渋谷金王丸、源義朝の先陣にて戦功をあぐ。金王丸の守護仏・観音菩薩が軍卒に化現し守護し給うという。
●1173年(承安3年)5月15日 – 円鎮、堂宇を整う。よって円鎮を当寺開山とす。
●1181年(養和元年) – 開山・円鎮示寂す(111歳)。
●1191年(建久2年) – 頼朝、金王八幡宮を建立。
●1202年(建仁2年) – 渋谷高重、住持円證に帰依し新たに伽藍を建立。渋谷山常照院円證持と改む。
●1500年(明応9年) – 村岡五郎左衛門重義が『金王八幡神社社記』を記す。
●1524年(大永4年) – 北条、上杉の合戦により、当寺及び八幡社焼失。
●1615年(元和元年) – 大坂夏の陣。10月、青山忠俊八幡社・当寺を造営。
●1690年(元禄3年) – 東福寺より作事願いが提出され、社殿・堂宇建立。
●1704年(宝永元年) – 第三十七世・慧順によって梵鐘が鋳造され、鐘楼堂建立され寺要整う。
●1746年(延享3年) – 東福寺門前(表間口30間3尺)町奉行支配となる。俗に金王門前とよぶ。
●1751年-1763年(宝暦年間) – 信州上田藩主・松平伊賀守忠順、八幡社、当寺の社殿、堂宇を修復する。
●1769年(明和6年)6月 – 八幡社に初めて冠木門(かぶきもん)を新築する。
●1801年(享和元年)6月 – 丹波篠山城主・青山忠裕が金150両を寄附して八幡社、当寺を修復する。
●1804年-1817年(文化年間) – 太白堂門人山奴社中により芭蕉句碑が境内に建立される。
●1840年(天保11年) – 寺運衰退し、社殿、堂宇の荒廃いちじるしく、第四十五世・舜教、鈴木雅可の助力を得て浄財を集め、八幡社、当寺を修復。
●1866年(慶応4年) – 江戸幕府の崩壊。
●1977年(明治10年) – 『寺院明細簿』を提出。宝泉寺住職・渡辺智徳が兼務す。
●1917年(大正6年)12月17日 – 第五十一世・宗円によって当寺の本堂落慶。
●1923年(大正12年)9月1日 – 関東大震災。当寺も羅災。直ちに修復す。
●1945年(昭和20年)3-5月 – 空襲。渋谷区内の寺社のほとんどが壊滅状態に陥るが当寺は無事。
●1984年(昭和59年)11月27日 – 落慶法要。
東福寺山門・wikipedia-photo
参道から鐘楼堂と本堂(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo、参道から左手は鐘楼堂(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo
鐘楼堂(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo
梵鐘(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo、参道から本堂(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo
本堂(平成27年5月3日撮影)・wikipedia-photo
本堂の扁額「渋谷山」(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo、合掌地蔵尊(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo、栄範・栄傳地蔵(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo、歴代住職の墓(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo、参道から山門へ(2015年5月3日撮影)・wikipedia-photo (wikipedia・東福寺_(渋谷区)より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図」(絵図左端中央・金王八幡宮左に東福寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [12]拾七下」(コマ番号5/7・地図中央より右下に金王八幡社地別当東福寺と描かれています。)
カメラ南西方向が東福寺山門です。