浜松藩井上家下屋敷跡

マーカーは元・原宿中学校(渋谷区教育センター)です。

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井上正直
[天保8年(1837年)10月29日、上野国館林藩主(のち浜松藩主)井上正春の四男として誕生。英之助(幼名)。
奏者番寺社奉行を経て、老中を都合2期(1862年(文久2年)-1864年(元治元年)、1865年(慶応元年)-1867年(慶応3年))務める。慶応2年(1866年)の第二次長州征討では14代将軍・徳川家茂に従軍し上洛した。
明治元年(1868年)、徳川家達の駿府移封に伴い上総鶴舞に所領を移された。  (wikipedia・井上正直より)]

[「渋谷区立図書館-渋谷区史年表」に、
●寛文年間(1661~1672) – このころ原宿に浜松藩主井上家(※当時笠間藩井上正任)拝領屋敷ができる。
と記述されています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – [江戸図正徳四(1714)年]」(コマ番号3/5・絵図四つ切右上、隠田川下に井上河内守(笠間藩主井上正之)屋敷地が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図中央上・井上英之介(井上正直)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 千駄ヶ谷其外村々諸屋敷色分図. [3]」(コマ番号4/52・絵図左に鶴舞藩(浜松藩)邸が描かれています。)

東京都立図書館アーカイブ – 東京府豊多摩郡内藤新宿町千駄ケ谷町 (出版年-1911.7)」(地図四つ切右下・字南原宿の上半分、妙円寺、長安寺前道路までが浜松藩井上家下屋敷跡と思われます。)

カメラ位置は浜松藩井上家下屋敷跡中心部になると思われる、元・原宿中学校(渋谷区教育センター)前です。