マーカーは清岸寺です。
清岸寺
[清岸寺(せいがんじ)は、東京都渋谷区幡ヶ谷二丁目36番1号にある、浄土宗の寺院。山号は法界山(ほうかいざん)。
法界山清岸寺は、『新編武蔵国風土記稿』によれば、1624年(寛永元年)石州津和野の専蓮社覚誉呑了(1647年(正保4年)12月15日寂)という僧によって創建された。清岸寺(龍池山不断院)は、もと参宮橋南側の代々木山谷(現乗馬倶楽部)にあり、そのころは宝地山と称していた。1908年(明治41年)に、敷地が陸軍省に買い上げられ代々木練兵場になることになり、現在地の住僧なく荒廃した法界寺(1623年(寛永元年))起立、開山は傳誉順良(1630年(寛永7年)寂)の跡に移転し、山号を法界山と改めた。 門前ののぼり坂の左側に石仏が3基、如意輪観音(にょいりんかんのん)、地蔵、笠付型庚申塔の順に並んでおり、庚申塔には畑ヶ谷(現幡ヶ谷の元の地名)村の文字が見える。また、門前を通る現在の中野通りは鎌倉古道であったといわれている。
●本堂 – 区指定有形文化財、2012年(平成24年)11月22日指定
1899年(明治32年)頃、千葉県岩井町市部(現南房総市)の今村正次が建てたもので、通称岩井御殿と呼ばれていた。1945年(昭和20年)5月の空襲により本堂を焼失した清岸寺は、1949年(昭和24年)に岩井御殿を譲り受け、1951年(昭和26年)に移築した。
●五輪塔 – 区登録有形文化財、2010年(平成22年)10月7日指定
4基の五輪塔は、平安時代末から見られる墓石などで、古いものとしては平泉中尊寺に1169年([仁安]4年)の銘のある五輪塔が確認されている。
西側の中野通りから参道を見る(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、緩やかな登り坂の参道を進む(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、左側の会館を通り過ぎ進む(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、正面の本堂と右側の位牌堂(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、清岸寺本堂(2015年4月22日撮影)・wikipedia-photo、六角形の納骨堂の浄霊殿(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、本堂左側の幡ヶ谷聖観音(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、本堂の右側の酒呑地蔵(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、参道右側の稲荷大明神(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、開山歴代上人之墓(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、酒呑地蔵前にある地蔵(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、念仏供養塔と庚申塔(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、六地蔵と背後の地蔵尊(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、右側が水上忠蔵先生追慕碑(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、区登録有形文化財の五輪塔(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo、空襲の戦火からの復興誌(2015年4月21日撮影)・wikipedia-photo (wikipedia・清岸寺より)]
[酒呑地蔵(さけのみじぞう)遷座
渋谷区の本町(ほんまち)に酒呑地蔵(さけのみじぞう)というお地蔵様があります。
事情によって酒呑地蔵のお堂を取り壊すことになったそうで、酒呑地蔵は清岸寺に遷座(せんざ、お引っ越しのこと)することになりました。
本日、遷座するにあたって撥遣(はっけん)式を行いました。撥遣式は、一般的に魂抜き、お性根(しょうね)抜きと言われ、彫刻・図画した仏・菩薩像、曼陀羅、位牌、お墓、石塔などの手を合わせて拝むものを修復しようとした時、繰り出し位牌にまとめるために処分する時、また引っ越しなどで動かす時などに魂を抜く法会です。今後、清岸寺に安置して遷座がすんだら、開眼(かいげん)法要を行うことになります。
本町の酒呑地蔵の縁起由来は以下の通りです。
酒呑地蔵 本町五丁目2番13号
この地蔵は、江戸時代の宝永5年(1708)にたてられ、別名を子育地蔵ともいわれますが、つぎのようないい伝えがあります。
むかし、四谷伝馬町に住む中村瀬平という者は、故あって成長の後に家を出て幡ヶ谷村の農家に雇われて農作業や子守りなど一生懸命に働いたといわれています。
瀬平の勤勉さに感心した村人は、三十一才になった正月に彼を招いてご馳走したところ、ふだんは飲まない酒によった瀬平は川に落ちて水死しました。瀬平は村人の夢まくらに現れて、この村から酒呑を無くすために地蔵を造ってほしいと願ったので、村人たちは早速一基のの地蔵を建立し、酒呑地蔵として伝えて来ました。
渋谷区教育委員会 (「清岸寺・住職ブログ 酒呑地蔵(さけのみじぞう)遷座」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 9号」(コマ番号4/5・地図中央「井伊掃部頭下屋敷」左に創建時の「清岸寺」が描かれています。)
カメラ東方向が清岸寺参道です。
清岸寺境内のカメラです。
酒呑地蔵前のカメラです。