マーカーは長泉寺です。
長泉寺
[曹洞宗の長泉寺の創建は文治年間(1185~90)と伝える。元禄元年(1592)青松寺七世瑞翁が再建したが、その後同寺十四世不中が復興した。
石仏群
墓地の奥には、二百数十体の石仏が並んでいます。大部分は地蔵ですが、そのほかに聖観音をはじめ各種の観音像が見られます。いずれも民間で作られたと思われる素朴な石仏で、かってこの付近に建てられてあったものが住宅造成などの折に、ここへ集められてきたということです。石仏に彫り込まれた年号から、このあたりにはかなり古くから地蔵信仰や観音信仰があって、村びとたちのあいだで講(グループ)が作られていたことがわかります。講では特定の日に持ち回りで家に集まり、仕事を休んで念仏をとなえたり、酒食を提供して語りあったり、子供に菓子を与えたりして過ごしました。楽しみの少なかった当時の村では貴重な娯楽のひとつでした。渋谷区教育委員会 (「東京都渋谷区の歴史 石仏群(長泉寺)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図」(絵図左上方向に長泉寺が描かれています。)
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上・「上渋谷」上に長泉寺が描かれています。)
カメラ西北西方向が長泉寺山門です。
長泉寺本堂前のカメラです。