愛全地蔵尊

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愛全地蔵尊
[舌代
此お地蔵様は、京都熊野郡久美浜町字古神谷(現京丹後市久美浜町1)の本願寺より、明治四十三の秋東洋幼稚園と東洋家政女学校の校長岸辺福雄先生がお寺に懇願の上譲り受け、当地に持って来られたのであります 
年々の供要は、湯島霊雲寺の住職に依てお祭りを致し、毎日礼拝されました。
作者は不明ですが鎌倉時代のものと申されて居ります
大正十二年の大震災で十数個はこわれましたのをつぎ合わせました 岸辺先生はカバン地蔵と名付ましたが、誰云ふとなく身代り地蔵子育地蔵とか火消し地蔵と申されて居ります
区割整理の為当町でお守する事になり、大震災大東亜戦又は事故死その他各位の方々の霊をおまつりし、年々供要を兼ねお祭りをし、愛全地蔵と霊雲寺の和尚さんは名付て戴き、今度皇太子御成婚記念としお堂新築致したのであります
昭和三十四年四月吉日 愛全地蔵講  (「愛全地蔵尊 – お地蔵さんブログ」より)]

岸邊福雄
[旧池田藩の藩医佐藤秀林の次男として鳥取県岩美郡大岩村に生れる。 旧制の兵庫県御影師範を卒業、兵庫県の小学校の教師時代に京都府久美浜町の岸邊かよと結婚、岸邊姓を名乗る。
 早くから口演童話を子どもたちに語り、遊戯指導の研究に取り組み、『実験新遊戯』(1899)、『遊戯的教授法』(1902)など、この分野での先駆的な著書を出版している。これらの著書は佐藤姓で書かれた。 1902(M35)には上京して青山師範講師となるが、翌年、牛込区納戸町の自宅を園舎に東洋幼稚園を創立、’10神田北神保町に、新園舎と東洋家政女学校とを併設して、幼児教育と女子教育に専念した。 同じころ、巌谷小波(12-1-2-18)や久留島武彦が口演童話をはじめるが、福雄は幼児教育の立場から口演童話を実践し、その体験をもとに『お伽噺仕方の理論と実際』(1909)を出した。 この本は我が国の口演童話の理論書、指導書としては、最も早く書かれたものとして知られる。 武彦が回字会という口演童話や雄弁術の勉強会を主宰したのに対して、福雄は喃々会(なんなんかい)を指導、小波、武彦とともに、子どものための重要なコミュニケーション・メディアだった口演童話の三人の先達として、並び称される。
 また、大正デモクラシーの時代思潮を背景に、北原白秋(10-1-2-6)、山本鼎片上伸らによって結成された日本自由教育協会の同人として、芸術教育運動に参加したり、四回にわたり欧米を視察、 東京市の市会議員を務めて、障害児教育にも先駆的役割を果たすという活動もしている。東京市の身障児のための施設「光明学園」の創設にも尽力。 神田の東洋幼稚園と東洋家政女学校は第二次大戦時の強制疎開によって消失したが、現在も渋谷区上原には岸辺幼稚園があり、福雄の事業が受け継がれている。  (「岸辺福雄」より)]

「本願寺 – 浄土宗の寺院。本堂は丹後地方最古の木造建築で、重要文化財。  (wikipedia・久美浜町#名所・旧跡より)]

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カメラ南南西方向が愛全地蔵尊です。