田中藩本多家上屋敷跡

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田中藩本多家
[田中藩(たなかはん)は、駿河国益津郡田中城(現在の静岡県藤枝市)に藩庁を置いた譜代大名の藩。歴代藩主は酒井家、堀田家、松平家、柳沢家など。
江戸時代初期に酒井忠利が入り、城下町・藤枝宿の整備を行ったが、以後藩主はめまぐるしく変わった。享保15年(1730年)に本多家が4万石で入り、明治維新まで7代約130年続いた。本多家時代には水戸藩弘道館とともに武道の二関と呼ばれた藩校・日知館を有した。なお、田中藩の歴代藩主のほとんどは幕閣入りを果たしており、田中藩主になることは幕政参加への登竜門のひとつであったといえる。
本多家の治世
土岐頼稔転出直後の享保15年(1730年)7月28日、上野沼田藩から本多正矩が4万石で入ることで、ようやく藩主家の定着を見た。
本多氏時代の田中藩では天災などが相次ぎ、さらに歴代藩主の相次ぐ幕閣入りで出費も激しく、藩財政は早くから苦しめられた。このため、第6代藩主本多正寛は藩政改革に着手したが効果は無かった。
明治元年(1868年)9月、第7代藩主本多正訥は、徳川家達駿府藩70万石の藩主として駿河遠江三河などを支配することになったことから、安房長尾藩に移封され、田中藩は廃藩となった。  (wikipedia・田中藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図左上に本多伊予守(本多正寛)上屋敷が描かれています。]

カメラ位置は本郷通り/出世不動通り交差点で、カメラ北東方向が田中藩本多家上屋敷跡になります。