表神保小路

マーカーはカメラ位置です。

表神保小路
[神保町(じんぼうちょう)という町名の由来が、江戸時代旗本(はたもと)神保家の屋敷からきたことは、すでによく知られている。
試みに、江戸城下の変遷絵図集『御府内沿革図書(ごふないえんかくずしょ)』を開くと、早くも17世紀後半延宝(えんぽう)年間の図上に、神保新右衛門(じんぼうしんえもん)の名前が見つかる。屋敷の場所は、今の白山通りからさくら通りにはいった左側、有斐閣(ゆうひかく)ビルのあたりになる。神保家の名は、幕末の切絵図にも出てくるから、江戸時代を通じてずっとこの地に、屋敷があったことが分かる。  (「千代田区ホームページ – 千代田区 町名由来板ガイド:神田神保町一丁目」より)]

[いまの駿河台下の交差点付近に土浦藩江戸屋敷があって、そこから西へ二本の道路が併行して通じています。南側の道路には「表神保小路」と書かれています。これが今の「すずらん通り」、「さくら通り」です。そして併行したもう一本が「裏神保小路」でいまの「靖国通り」。このさくら通りの西側に九百石の旗本で、元禄2年から幕末までここに住んでいた神保伯耆守の屋敷がありました。この旗本の名前が神保町の名前の由来なのです。  (「神保町へ行こう – 特集 神保町を見守り続けて70年”古書店街の生き字引」より)]

表神保小路資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図」[絵図中央の左中程に土屋采女正(土浦藩)上屋敷が描かれていて、その右方向二本の道路の上が表神保小路で下が裏神保小路です。表神保小路/一ツ橋通小川丁の右方向に神保伯耆守屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 小川町駿河台元飯田町辺 : 文化五年調」(コマ番号2/4・絵図下方向「松平紀伊守」左に「神保喜内」と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 1号」(コマ番号3/6・絵図中央付近「豊前守」の左に「神保伯耆守」と描かれています。)

カメラ南南西方向が有斐閣ビル・ここが神保伯耆守屋敷あとで、カメラ位置の通りが表神保小路です。

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