彦根藩井伊家上屋敷跡(国会前庭・憲政記念館)

マーカーは三権分立の時計塔です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP930・コマ番号509/553から彦根藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 外櫻田」がこの地になります。

彦根藩井伊家上屋敷跡
国会前庭
[国会前庭北地区は、江戸時代ははじめ加藤清正の屋敷、次いで彦根藩井伊氏上屋敷があったところで、幕末大老井伊直弼はここから内堀(桜田濠)沿いの道を桜田門に向かう途中の路上で桜田門外の変に遭った。明治時代になって当地は国有地となり、はじめ弾正台、のちに参謀本部陸軍省が置かれた。そして陸軍省が廃止された戦後に衆議院の所管に移され、周囲の土地区画整理や道路拡張の後に洋式の庭園に整備された。
北地区の中心には三権分立を象徴するとされる時計塔が建てられており、シンボルになっている。また、軍事的な理由から全国の測量を進めた参謀本部陸地測量部国土地理院の前身)がこの地に置かれていた名残である日本水準原点が園内に存在することが有名。尾崎行雄の業績を称えて建設され、現在は衆議院が管理している憲政記念館も北地区の敷地内にある。  (wikipedia・国会前庭より)]

憲政記念館
[1960年に建てられた尾崎行雄(衆議院名誉議員)を記念する「尾崎記念会館」を母体に1970年の日本における議会政治80周年を記念して設立され、2年後の1972年に開館した。
資料展示をするほか、特別展・講演会などが催されている。
江戸時代には、大老職を務めた井伊直弼(彦根藩)の上屋敷がここにあった。また戦前は陸軍省、参謀本部、陸地測量部(国土地理院の前身)があった場所である。
2003年には、『尾崎記念会館』としてDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている。
元憲政記念館主幹の伊藤光一と元東大教授の伊藤隆によれば、憲政記念館は近代日本政治に関する多数の貴重資料(樺山資紀・鈴木隆夫・重光葵関係等々)を所蔵しているが、未整理・非公開のまま放置されているものが多い。また閲覧の制度がきちんと整備・運用されていないため、研究者の資料利用に大きな支障をきたしている。特別展等の準備に追われて整理する時間がなく、その間に職員も入れ替わって行くため、貴重資料を収集しておきながら杜撰な管理体制下にあると問題視されている。
国立公文書館と一体の施設を建設する計画があり、令和3年度中に代替施設に移転予定である。また、現在の建物はモダニズム建築としての評価もあるが、全て取壊し「一部部材の活用やイメージの踏襲等を検討する」とされている。
時計塔
尾崎記念会館(現・憲政記念館)建設時に、その施設の一環として、塔前面の噴水池・花壇とともに設計され、1960年7月に完成した。三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである。
塔の高さは「百尺竿頭一歩を進む」と言うことわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺(30.3m)よりも高くした31.5mに設定された。時計は時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られた物であったが、現在は国産の物に改修されている。
椰子の実」のなどの作品で知られる作曲家・大中寅二によるチャイムは一日4回、10時・13時・17時・22時に鳴動する。これは、衆議院、参議院の会議開会時刻と退庁、就寝時を標準にしたもので、その音響は静寂時には5キロメートル周囲に響き渡った。
解体前の憲政記念館・wikipedia-photo、尾崎記念会館竣工記念切手(1960年)・wikipedia-photo、時計塔・wikipedia-photo  (wikipedia・憲政記念館より)]

下絵は「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸勝景〕(作者 歌川広重)」よりのコピーで、外櫻田門から彦根藩井伊家上屋敷を見た情景で、屋敷手前に「桜の井戸」が描かれています。

広重の浮世絵に見る 彦根藩井伊家上屋敷 – 東京湾観光情報局

国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡江戸〔庄〕図(出版年月日・〔寛永9(1632)頃〕刊」(絵図四つ切左上・御堀上に「加藤肥後」(加藤忠広)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 新板江戸大絵図(出版年月日・寛文10(1670)刊」(絵図中央上方向・御城左に「井伊カモン」(井伊直澄)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永3年・1850年)」[絵図上中央に井伊掃部頭(井伊直弼)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四」(コマ番号61/87「延宝(1673-1681)年中之形」(井伊直澄井伊直興)、62/87「正徳元(1711)年以降之形」(井伊直興)、63/87「寛政四(1792)年之形」(井伊直中)、64/87「文化五(1808)年当時之形」(井伊直中)、66/87「天保九(1838)年之形」(井伊直亮)、68/87「文久元(1861)年当時之形」(井伊直憲)の絵図四つ切右上に「井伊掃部頭」と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久元年・1861年)」[コマ番号2/3・絵図中央右に井伊掃部頭(井伊直憲)と描かれています。]

東京図測量原図 : 五千分一 – (内題)東京府武蔵国麹町皇城及永田町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央左・参謀本部、陸軍省が彦根藩井伊家上屋敷跡になります。)

絵本江戸土産 – 外桜田(拡大図)

井伊掃部頭邸跡(前 加藤清正邸) – Google Map 画像リンク」、「彦根藩井伊家上屋敷跡 – Google Map 画像リンク」、「日本水準原点 – Google Map 画像リンク」、「憲政記念館 – Google Map 画像リンク」、「憲政記念館 三権分立の時計塔 – Google Map 画像リンク

カメラ画像は2015年3月で、カメラ西北西方向に井伊掃部頭邸跡(前 加藤清正邸)標柱があり、その左にあるのが移設復元された桜の井戸ですが、現在はさらに東側に移設されています。

カメラ位置は国会前庭北地区で、カメラ南方向が日本水準原点です。

カメラ位置は国会前庭北地区で、カメラ西方向が三権分立の時計塔です。

カメラ東北東方向が解体された憲政記念館跡で、この地に新国立公文書館が建設される予定です。