彦根藩井伊家中屋敷跡(ホテルニューオータニ)

マーカーはホテルニューオータニです。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP930・コマ番号509/553から彦根藩屋敷の変遷について記載されています。P931・コマ番号509/553「中屋敷 赤坂門内」がこの地になります。

彦根藩井伊家中屋敷跡(ホテルニューオータニ)
[明治初期以降の伏見宮邸の跡地は、現在はホテルニューオータニとなっており、庭園にその名残がある。なおこの場所には、はじめ加藤清正下屋敷があり、後には井伊家中屋敷があった。  (wikipedia・伏見宮より)]

[ホテルニューオータニは、東京オリンピックを2年後に控えた1962年(昭和37年)、オリンピック委員会と政府は、1日約3万人が訪れると予想される外国人客の受入れ施設確保を計画し財界に打診したところ、大谷重工業社長の大谷米太郎がこれを受諾、ホテル建設に着手した。建設地は東京都千代田区紀尾井町の旧伏見宮邸跡地、施工は大成建設。着工は1963年(昭和38年)4月1日、竣工は1964年(昭和39年)8月31日、翌9月1日に現在のザ・メインが開業。  (wikipedia・ホテルニューオータニより)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 新板江戸大絵図(出版年月日・寛文1O(1670)刊」(絵図上端中央付近に「尾張中将殿」(徳川光友)、「イ井カモン」(井伊直澄)、「紀伊中納言殿」(徳川光貞)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四」(コマ番号44/87「延宝元(1673)年-元禄三(1690)年之形」(徳川光貞、井伊直興、徳川光友)、45/87「元禄四(1691)年以後之方」(徳川光貞、井伊直興、徳川光友)、46/87「元禄十年(1697)以後之方」(徳川綱教、井伊直興、徳川綱誠)、47/87「正徳五(1715)年以後之方」(徳川宗直、井伊直惟、徳川継友)、48/87「文化五(1808)年当時之形」(徳川治宝、井伊直中、徳川斉朝)、50/87「天保九(1838)年之方」(徳川治宝、井伊直亮、徳川斉温)、52/87「文久元(1861)年当時之形」(徳川茂承、井伊直憲、徳川慶勝)の絵図に「紀伊殿」「井伊掃部頭」「尾張殿」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図(嘉永三年・1850)」[絵図左下・井伊掃部頭(井伊直弼)が彦根藩井伊家中屋敷です。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 四之二(文久元年・1861年)」(コマ番号2/3・絵図左に「紀伊殿」(徳川茂承)、「井伊掃部頭」(井伊直憲)、「尾張殿」(徳川慶勝)が描かれています。)

東京図測量原図 : 五千分 – (内題)東京府武蔵国麹町区紀尾井町及赤坂区田町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切左上・紀尾井町に伏見宮邸が描かれ、そこの一画が彦根藩井伊家中屋敷跡です。)

近江彦根藩井伊家屋敷跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向が彦根藩井伊家中屋敷跡(ホテルニューオータニ)です。(ホテルニューオータニの敷地内に井伊家中屋敷跡碑が設置してある。)

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