佐倉藩堀田家下屋敷跡(聖心女子大学)

マーカーは広尾ガーデンヒルズです。

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佐倉藩堀田家下屋敷跡(聖心女子大学)
[聖心女子大学の敷地は、江戸時代、本学の敷地と北に隣接する日本赤十字医療センター・日本赤十字看護大学・広尾ガーデンヒルズとをあわせた一帯で、下総佐倉藩堀田家の下屋敷でした。このうち、本学の敷地には、1917(大正6)年に久邇宮(クニノミヤ)家の本邸が建設されましたが、太平洋戦争後は国の管理を経て、映画会社大映の所有となり、時代劇のロケなどにも用いられていました。聖心女子学院は、この地を1947(昭和22)年末に購入し、翌年4月の大学開学を迎えることとなりました。
 本学の南門や北側の日赤医療センター、その付近の堀田坂などに大名屋敷の遺構を示す見事な石垣が残されています。また、久邇宮邸時代の建造物としては、正門、パレス(旧久邇宮邸御常御殿)、久邇宮邸本館車寄せなどが遺されています。  (「聖心女子大学 | 大学概要」より)]

東京官園
[官園(かんえん)は、開拓使北海道および東京府に設置した、農業に関する試験・普及機関である。
明治維新以降、さまざまな分野で海外の技術を導入することとなったが、北海道の開拓もまた例外ではなかった。開拓の拡大は農業がその先鋭となったが、本州の平地とは異なる亜寒帯に属する北海道では用いる技術が異なることから、アメリカやヨーロッパの技術が導入され、試験されることとなった。この試験を実施する場所を、官園と通称した。
最も早く試験が始まったのは、すでに一定の開拓が進んでいた北海道南部の函館周辺であった。1870年に渡島国亀田郡七重村に七重官園(ななえかんえん)が設置された。
一方、開拓使教師(お雇い外国人)であったホーレス・ケプロンは、1871年にその職に就任すると直ちに、海外からの種苗や種畜の調達、気候の解析など、精力的に農業に関する建言を行った。その中で、将来首府となるであろう札幌に官園を設けることを提案し、1871年に設置された御手作畑を含む地域を1873年に札幌官園(さっぽろかんえん)と定めた。また開拓次官であった黒田清隆は、これら種苗や種畜を北海道に持ち込む前に馴化させるため、東京の3か所の大名屋敷跡にその地を求め、1871年に東京官園(とうきょうかんえん)を設置し、技術指導者としてルイス・ベーマーエドウィン・ダンが招かれた。その後、北海道東部の根室には、1874年に根室官園(ねむろかんえん)が設置され、それぞれの地域実情に合わせた試験と実証を積み重ねた。
官園では、開拓の現場において西洋の農業技術を普及するための技術者である現術生徒や、研修を受けて村で洋式農業を実践する農業修業人の育成も担った。これら生徒や修業人は、試験の成果を普及するのに大きな役割を果たした。
東京官園
●1871年9月 – 開拓使により東京府青山南町に1号(松平頼英邸跡・西条藩松平家上屋敷跡、4万坪弱)、青山北町に2号(稲葉正邦邸跡・淀藩稲葉家下屋敷跡、5万坪)、麻布新笄町に3号(堀田正倫邸跡、5万坪弱)の官園が設置される。11月には南豊島郡下渋谷村民有地約3万坪を買上げ、第3官園に編入。
●1875年3月 – 東京農事試験所に改称される。
●1876年3月 – 渋谷村ほか五カ村民有地4万坪強を買上げ、第1、第2号試験場に編入、また、第3官園には約7千坪の牧場が施設され、麻布の開拓使牧場と通称された。
●1880年 – 勧業試験場に改称される。
●1881年 – 第1、第2試験場を廃止する。
●1882年 – 第3試験場を廃止する。  (wikipedia・官園_(開拓使)より)]

渋谷区立図書館-渋谷区史年表」に、
●宝暦4年(1754) – 山口家下屋敷の大部分(旧宮代町)が堀田家下屋敷となる。
と記述されています。]

佐倉藩堀田家下屋敷跡資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 芝金杉より麻布白金御殿跡辺絵図 : 寛保延享之頃(1741年 – 1748年)」(コマ番号6/7・絵図左に「堀田相模守」が描かれ、その左に山口修理亮が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [12]拾七下(嘉永元年・1848年)」(コマ番号2/7絵図中央左に、コマ番号3/7絵図右端中央に堀田備中守下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [11]拾七下(嘉永元年・1848年)」(コマ番号116/196「延宝初(1673年)之形」から122/196「寛延二年之形」まで堀田相模守上に山口修理亮が描かれています。コマ番号123/196「宝暦四(1754)年之形」で、山口修理亮部分が堀田相模守となっています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図(嘉永四・1852年)」(絵図下右方向に「堀田備中守下屋敷」が描かれています。)

東京都立図書館アーカイブ – 東京府豊多摩郡澁谷町(出版年-1911.11)」[地図右・字笄開谷(現在の広尾四丁目)の右下の地番を除くエリアが佐倉藩堀田家下屋敷跡になります。]

カメラ位置は堀田坂上で、カメラ南西方向が佐倉藩堀田家下屋敷門があった辺りかと思います。

カメラ東方向が聖心女子大学正門で、久邇宮邸時代の建造物です。

カメラ北西方向が聖心女子大学南門で、石垣は佐倉藩堀田家下屋敷の遺構です。

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