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南の天王社(荏原神社・品川貴船社)
[荏原神社(えばらじんじゃ)は、東京都品川区北品川にある神社である。旧社格は元准勅祭社。郷社。旧称を天王社、貴布彌大明神という。品川には天王社が二つあり、品川神社は「北の天王」、荏原神社は「南の天王」と呼ばれる。また東海七福神の中の1社として恵比須を祀る。
歴史
和銅2年(709年)9月9日、大和国丹生川上神社より高龗神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まる。
長元2年(1029年)に伊勢神宮より豊受大神・天照大神を勧請。
宝治元年(1274年)に京都祇園社(八坂神社)より牛頭天王を勧請。
康平5年(1062年)、源頼義・源義家は安倍氏_(奥州)征伐に際し当社と大國魂神社に参蘢し、品川の海中で身を浄める(※このことより、現在でも大國魂神社の神職は例祭のくらやみ祭に際し当社に参詣して禊を行う)。
以降、源氏、上杉氏、徳川氏など多くの武家の信仰を受け、品川の総鎮守として崇敬さる。後に現在地に遷座。旧鎮座地には今も水神の貴布彌神社(きふねじんじゃ)があるように、もとは「品川貴船社」と称す。
明治元年(1868年)勅祭社に准ぜられた(准勅祭社という)が、同3年改めて郷社に列した。
明治8年、品川貴船社の名を改めて、荏原郡の名をつけて「荏原神社」に改称。
祭事
9月に貴布禰祭、6月初旬に天王祭、11月に大酉祭(酉の市)が行われる。
天王祭
6月の天王祭は当社の例祭
天王洲沖で神面をつけた神輿が海に入る「御神面海中渡御」が行われる。これは、宝暦元年6月、品川沖の海面から牛頭天王の面が発見されたことに因むものである。「天王洲」の地名はこのことによるものである。天王洲は現在は埋め立てにより陸地になっており、当社の氏子地域になっている。
牛頭天王(須佐男之尊)が水神であることから、参加者をかっぱになぞらえ、「かっぱ祭」と俗称される。
荏原神社一の鳥居・wikipedia-photo
手水舎と境内鳥居・wikipedia-photo
拝殿・wikipedia-photo
神楽殿(舞殿)・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、荏原神社の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・荏原神社より)]
「荏原神社ホームページ」 – 「荏原神社三大祭」
南の天王社(荏原神社)資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図左下付近・目黒川の下、「有馬中務大輔下屋敷」の右に「天王社」と描かれています)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号3/8・絵図左下「抱屋敷」下に「貴布彌神社」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号2/7・絵図四つ切左上「島津又之進抱屋敷」上に「貴布彌明神」が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「品川牛頭天王御輿洗」(4-13)、「牛頭天王社解説・右ページ1行目から」(4-14)、「貴船明神社」(4-21)
貴船明神社(品川貴船社・荏原神社)(拡大図)
[図会右ページに貴船明神社(荏原神社)が描かれ下(北側)に描かれています。図会では貴船明神社は目黒川の南に描かれていますが、目黒川の流路変更により現在は目黒川の北側になります。]
品川牛頭天王御輿洗(拡大図)
カメラ北北東方向が荏原神社に架かる鎮守橋です。
カメラ西北西方向が荏原神社拝殿です。