北町観音堂

マーカーは北町観音堂です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

北町観音堂
[北町観音堂には、天和2年(1682)銘の北町聖観音座像があり、また当時の史料にも記述が見られることから、江戸時代には既に在ったものと考えられます。

『北町観音堂の縁起
ここには、天和2年(1682)銘の「北町聖観音座像」をはじめ馬頭観音庚申塔など数多くの石造物があります。江戸周辺を探訪した小石川の僧が記した紀行文「遊歴雑記」にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があり、往来の人々の信仰や赤塚村への分岐道の目印となっていたことが分かります。
北町聖観音座像
高さ270センチメートル、区内最大の石仏。背には「武州河越多賀町隔夜浅草光岳智月参所 奉新造正観音為四恩報謝也。時天和2年8月」台座には川越街道沿いの29の地名が刻まれています。
北町の仁王
向かって右阿形像、左吽形像。重厚な造りの像で、両像の背には「天和3年、奉立之施主光岳宗智」の銘があり、聖観音座像建立の翌年に建てられたことが分かります。
               (練馬区教育委員会掲示)』  (「猫のあしあと – 北町観音堂」より)]

[北町2丁目の旧川越街道沿いに北町観音堂があります。観音堂には、区内最大の石仏である北町聖観音座像しょうかんのんざぞうや仁王像・馬頭観音ばとうかんのんなどの石造物があり、江戸時代に北町が川越街道の宿場であった名残をとどめています。
 北町聖観音座像しょうかんのんざぞうは、台座まで含めた高さが270センチメートルにもなります。蓮華座れんげざに座し、右手はすべての畏怖を除くことを示す印相いんしょうを結び、左手には蓮華を持っています。背面には造立ぞうりゅう趣旨と「天和てんな二年(1682年)・・」の制作年月日が刻まれています。台座には下練馬や上板橋から川越にいたる川越街道沿いの29の地名が刻まれています。このことから、僧・光岳宗智こうがくそうちが、川越と浅草の間を往復し、道中この場所で街道沿いの村の人々に信仰を広めていった様子をうかがい知ることができます。(画像リンク)
昭和62年度区登録・平成7年度区指定  (「北町聖観音座像 (きたまちしょうかんのんざぞう)」より)]

北町聖観音座像 (きたまちしょうかんのんざぞう):練馬区公式ホームページ」、「北町の仁王像 (きたまちのにおうぞう):練馬区公式ホームページ

北町観音堂 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が北町観音堂です。

北町観音堂 – 仁王門(Google Map 画像)

北町観音堂(Google Map 画像)

北町観音堂 – 北町聖観音座像(Google Map 画像)

北町観音堂案内板(Google Map 画像)