マーカーは金乗院です。
金乗院
[真言宗豊山派の金乗院は、如意山金乗院萬徳寺と号し、僧行栄が文禄年間(1592-6)に建立したと言われ、寺領18石9斗余の御朱印寺で、中本寺格の寺院でした。文久元年(1861)、門前にあった須賀神社の祭りの時火災に遭い全焼、昭和32年に再建しました。豊島八十八ヶ所霊場32番札所です。 (「猫のあしあと – 金乗院」より)]
金乗院の一石六地蔵(こんじょういんのいっせきろくじぞう)
[高さ198センチメートルの舟形の石造物です。中央に左から錫杖(しゃくじょう)、薬壺(やっこ)、合掌、数珠、傘蓋(さんがい)、幡(ばん)をそれぞれ持つ地蔵菩薩立像六躯が浮き彫りされています。これは六地蔵といって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上のどこにいても救いの手をさしのべる六道救済の地蔵です。明暦2年(1656年)9月15日に「下練馬本村御月待衆(おんつきまちしゅう)」によって建立されたもので、上部には、地蔵を示す梵字「カ」とともに日・月が彫られており、「奉新造立六地蔵大菩薩二世安楽所」として、下部に月待衆16人の名が刻まれています。画像リンク
平成5年度区登録 (「練馬区ホームページ – 金乗院の一石六地蔵(こんじょういんのいっせきろくじぞう)」より)]
金乗院御朱印状(こんじょういんごしゅいんじょう)〈非公開〉
[徳川将軍家が金乗院の寺領18石9斗を安堵し、年貢・雑税を免除することを認めた朱印状です。将軍に対する敬意を込めて「御朱印状」と呼ばれました。慶安2年(1649年)3代将軍家光の朱印状をはじめ、将軍の代替りごとに万延元年(1860年)14代家茂まで発給された9点の朱印状が、漆塗りの御朱印箱に納められています。11代家斉のものを除き、大高檀紙(おおたかだんし)(※注釈)が使われています。 区内では、まとまって伝わる朱印状として、数少ない貴重なものです。
※注釈:大高檀紙 厚手で白く縮緬(ちりめん)のような皺のある縦約47センチメートル、横約66センチメートルの和紙で、江戸時代の将軍が判物(はんもつ)や朱印状などに用いました。画像リンク1(御朱印箱)、画像リンク2(朱印状一括)、画像リンク3(徳川家光朱印状)、画像リンク4(徳川綱吉朱印状)、画像リンク5(徳川吉宗朱印状)、画像リンク6(徳川家茂朱印状)
平成8年度区登録・平成13年度区指定 (「練馬区ホームページ – 金乗院御朱印状 (こんじょういん ごしゅいんじょう)」より)]
カメラ西方向が金乗院総門です。