マーカーは東覚寺です。
東覚寺
[東覚寺(とうかくじ)は、東京都北区田端2丁目にある真言宗豊山派の寺院。
延徳3年(1491年)源雅により神田に創建。その後根岸(現在の台東区)そして、慶安年間(1600年頃)に田端の地に移転されたと言われている。
また、7石の朱印地を受けていたと言われている。
赤紙仁王
当寺院の特徴として山門に体中に赤紙が貼られた金剛力士像がある。これは、通称赤紙仁王と呼ばれ、病を患った人がその部分に相応する箇所に赤紙を仁王像に貼ると治癒されると言われており、現在においても赤紙を貼る人が絶たない。その後病が治癒すると、草履を供えるものとされており、その風習も現在残っている。
なお、仁王像は寛永18年(1641年)8月21日に賢盛の時代に造立されており、当時江戸市中において疫病が流行っていたのでそれを鎮めようとして建立されたものとされている。しかし、仁王像に赤紙を貼るという風習はこの時存在しておらず、この風習は明治時代に入ってから広まったものと伝わっている。また、当仁王像は江戸時代までは東覚寺が別当寺を務めており隣接する田端八幡神社の前にあった。その後、神仏分離令が出来て、明治時代に東覚寺の前にあった九品仏堂の前に移転、そして2008年に道路拡張の際にさらに後方に移転した。1998年に北区の指定文化財になった。
不動堂と赤紙仁王・wikipedia-photo
山門・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、東覚寺_(東京都北区)の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・東覚寺_(東京都北区)より)]
[真言宗豊山派の東覚寺は、白龍山寿命院と号し、延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられます。江戸時代には、7石の朱印地を拝領した御朱印寺でした。御府内八十八ヶ所霊場66番札所、豊島八十八ヶ所霊場66番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場29番札所、谷中七福神の福禄寿です。 (「猫のあしあと」より)]
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵中央付近・道灌山、佐竹右京太夫下屋敷左下に東覚寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [35]貮拾壹亨」(コマ番号7/7・地図中央右方向に東覚寺が描かれています。)
「東覚寺 – Google Map 画像リンク」、「赤紙仁王尊 – Google Map 画像リンク」
カメラ北北東方向が東覚寺山門で、山門右に九品仏堂があり、その前に石造金剛力士立像(赤紙仁王)があります。
九品仏堂前のカメラです。
東覚寺本堂前のカメラです。