マーカーは施餓鬼亡霊供養塔です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年で見ると、中町記述左下の千川上水上に施餓鬼亡霊供養塔があります。
施餓鬼亡霊供養塔
[更新橋を過ぎると、両岸の土手にはエノキ、コブシ、シラカシなどの比較的樹齢が浅い小中の高木が目立ちます。ここから「北浦橋」 「桂橋」を過ぎ、東北浦橋にさしかかると、練馬区側の堤に、流れを背に建つ石塔が目にとまります。千川上水で水難死した人たちの霊を慰めるために、近在の人々が寄進して、明治41年(一九〇八)3月に建立した「千川上水施餓鬼(せがき)亡憂供粒塔(ぼうれいくようとう)」(総高165cm、最大台石の幅60cm/関町南四・2)です。台石正面には「右ハ田無小金井道」「北ハ関青梅街道々」「左ハ吉祥寺停車場井之頭道」と刻まれ、昔は道標の役割を果たしていたとを示しています。かつての千川上水は時には〝魔の川″の一面を見せることもありました。 (「千川上水現況調査報告(平成16年3月発行)(PDF:7820KB) – 練馬区」より)]
「千川上水施餓鬼亡霊供養塔 – Google Map 画像リンク」
カメラ南方向に施餓鬼亡霊供養塔があります。