一里塚子育地蔵尊・「ふじ大山道」の道標

マーカーは一里塚子育地蔵尊・「ふじ大山道」の道標です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

一里塚子育地蔵尊・「ふじ大山道」の道標
[環八通りに面して「六十六部供養塔(安永三年(1774) 造立)」「 新旧二体の地蔵尊」などが収められている小堂がありました。
 左脇には、「ふじ大山道」と彫られた道標の石碑があります。
 ここは、志村から計って一里の位置にあるため「一里塚子育地蔵」といいます。  (「ふじ大山道巡り 1」より)]

[用件を終えて帰ろうとしていたときに、沈む夕陽が見渡せる場所を探していて見つけた物件。
解説板には、「ふじ大山道」とあり、それらしき道標があるが、傍らには子育て地蔵尊が。
祠の中の奉納された額によれば、「一里塚子育地蔵尊」とのことで、昭和六二年四月吉祥日に、環状八号線拡張に伴い、移転されたものらしい。  (「練馬区、中野区の路傍にあるもの – 想像してみよう、その光景を (仮題)」より)]

[ふじ大山道
 ふじ大山道は、大山街道、富士街道、道者街道ともよばれています。それは阿夫利山ともいわれた大山(神奈川県)へ、また大山から富士山への道者たちが通ったからです。
 この街道は、北町一丁目で旧川越街道から分かれて、石神井田無を経て神奈川県伊勢崎市に達していました。練馬の中央部をほぼ東から西南に横断し、区内では約八キロメートルに及んでいます。旧川越街道との分岐点には「従是(これより)大山道」と刻んだ道しるべ(道標)が建てられました。
 旧暦の六月は、俗に祭月とよばれているように、江戸や関東の各地では、祭礼が盛んに行われました。阿夫利山も「水の無い月に雨降る山は開き」とあるように、六月二十八日は初山で、それから七月十四日まで、連日、関東の々から集まった大山講富士講の人々でにぎわいました。その道者たちが通ったのがこの街道です。
 平成二十一年三月
             練馬区教育委員会  (「古墳なう 「練馬区内の一里塚」」より)]

「ふじ大山道」の道標案内板(Google Map 画像)

つれづれなるままに・・・2005-05-28 一里塚子育て地蔵尊

ふじ大山道道標・一里塚子育地蔵 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が一里塚子育地蔵尊で、その左に「ふじ大山道」の道標の石碑と説明板があります。

一里塚子育地蔵尊・「ふじ大山道」の道標(Google Map 画像)