上野毛稲荷神社

マーカーは上野毛稲荷神社です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左下・「上野毛」左下に稲荷社、イナリ坂が描かれています。)

上野毛稲荷神社
[上野毛稲荷神社の創建年代は不詳ですが、文禄三年(1594)の「武州荏原郡世田谷領上野毛郷縄打屋敷帳」に「小松原(字名)十五間に十四間の下畑七畝、筑後分学岩寺作、宮の前二十五間に十間半の中田八畝二十二畝」と「宮の前」と記載されているのが当社と推定でき、覚願寺と同時期の創建と推定できます。江戸時代には野毛六所神社と共に当所周辺(上野毛村)の鎮守社だったといいます。
●せたがや社寺と史跡による上野毛稲荷神社の由緒
祭神は倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)で通称お稲荷さんとよばれ、玉川の台地末端の稲荷坂の途中にある。穀物や農業一般をつかさどる神としてまた上野毛の鎮守の神として古くから尊崇されている。「新編武蔵風土記稿」でに「稲荷社除地一畝歩、字橋際の上にあり、上屋二間に九尺、東向なり。中に三尺四方の祠あり由緒不詳と言えども上野毛村の氏神なり」とある。
例大祭は10月10日、上野毛周辺地区よりの参詣客が集まり賑わう。
なお、鳥居左側に「菅公一千年祭再建、北野神社」の石碑があり、明治35年4月25日氏子総代によって建てられたものである。(せたがや社寺と史跡より)
●新編武蔵風土記稿による上野毛稲荷神社の由緒
(上野毛村)稲荷社
除地一畝歩、字橋際の上にあり、上屋二間に九尺、東向なり。中に三尺四方の祠あり、此村の鎮守は下野毛村六所明神なり。されど此社をも鎮守といひて隔年に祭事あり。祭日は九月十二日と定む。
鳥居。両柱の間七尺。(新編武蔵風土記稿より)  (「上野毛稲荷神社|世田谷区上野毛の神社 – 猫の足あと」より)]

上野毛稲荷神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が上野毛稲荷神社参道です。

上野毛稲荷神社拝殿前のカメラです。