マーカーは高山稲荷社です。
高山稲荷社
[高山稲荷神社は京都伏見稲荷大社の御分霊・正一位福聚稲荷大明神の御分霊を祭祀しております。往時の文献によれば今から凡そ五百年前当地域に神社の建立を御勧請し神社を建立したと記されております。当時高輪の地形は小高い丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝えられております。現在の社殿前方品川駅一帯は見晴らすかぎり海辺がつづき遠く房総半島方面より往き来する舟の目標となったものと記されております。(寛政年間の江戸名所図会参照) (「猫のあしあと」より)]
[港区登録有形民俗文化財
石燈籠(おしゃもじさま) 平成6年(1994)3月22日指定
「おしゃもじさま」は、縁結びの神として祀られているが、その名の由来はわかっていない。高輪の台地上にあった「石神社(別名『釈神社』)」が、高山稲荷神社に合祀されたもので、『江戸名所図会』によれば、石神横町(しゃくじんよこちょう)といわれていた。これを誤って里俗で「おしゃもじ横町」といったとされ、この名からつけられた名である可能性もある。
このおしゃもじさまは、もとは切支丹燈籠で、一説には高輪海岸で処刑された外国人宣教師を供養するために建てられたといわれ、また海中より出土したともいわれる。切支丹の隠れ信仰があったことを物語る資料である。
東京都港区教育委員会 (「東京都港区の歴史 石燈籠(おしゃもじさま)(高山稲荷神社)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図左中央付近「有馬中務大輔下屋敷」下に「高山稲荷」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号3/8・絵図中央「有馬中務大輔下屋敷」下に「稲荷」と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号3/7・絵図中央右上方向、「有馬玄蕃頭」上に「高山稲荷」が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「高山稲荷社・石神社解説は右ページ左から4行目より」(3-57)、「石神社」(3-56)、「石神社解説-2・右ページ2行目まで」(3-59)
高山稲荷社(拡大図)
石神社(拡大図)
狂歌江都名所図会 – おしゃもじ横丁(拡大図)
「品川・高山稲荷神社 – Google Map 画像リンク」
カメラ西方向が高山稲荷社です。