秋色庵大坂家

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秋色庵大坂家
[秋色庵大坂家(しゅうしきあんおおさかや)は、東京都港区三田にある老舗の和菓子屋。正式商号は株式会社大坂家。
江戸へ移る前は大坂表(おおさかおもて)に店があったとされ、店名の由来となっている。
●江戸での創業は元禄年間(1688~1703)で、創業当時は屋号を「大坂屋」としており、1895年まで日本橋小網町に店を構えていた。
江戸時代の頃は、大宝令で定められた国司の階級である「伊勢大掾(いせだいじょう)」という称号を持っていた。
●その後15代目の時に貰い火により焼け出され、現在の東京都港区にある金杉橋に移る。
●16代が店名を「大坂家」と改め、1923年9月の関東大震災に遭遇し、再び店を焼失。その後、現在の三田に移り、現在に至る。
●「秋色庵」の「秋色」は、先祖で俳人であった秋色女(しゅうしきじょ)から名をとったもので、商品名にも使われている。  (wikipedia-秋色庵大坂家より)]

[大坂家の歴史
東京にあって、なぜ “大坂家”なのか。数々の火災に遭い貴重な資料は焼失してしまい残念ながら詳細は不明のままですが、その昔、
大坂表(おおさかおもて)で商売していたことだけは分かっております。そして何らかの理由から江戸へ移ってきて、現代に至るという風に推測されます。江戸での創業は元祿年間(1688~1703年)とされておりおおよそ300年前、現在の店主で十七代目になります。当時の事は蜀山人(大田南畝)著「半日閑話」、柳亭種彦著「環魂紙料」、そして文政版「江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)」等数々の古書にその名を留めております。創業当時は屋号を大坂屋としており、明治27年まで現在の日本橋小網町に店を構えておりました。当時は堀江町と小網町の間にあり、履物屋と傘屋が多く並んでいたという俗に照り降り町(照れ降れ町)と呼ばれていた地区で営業していました。また当時は、伊勢大掾(いせだいじょう)という称号を持っておりました。この称号は大宝令で定められた国司の階級としてあったもので、京都から賜わるものであったようです。
===小網町一丁目に、大坂屋伊勢大掾といふ菓子屋あり、
いかなる事にや、大掾と計りいひてとほつたり、其名を知らざる者多し。===
(四壁庵茂鳶薯「忘れ残り」より抜粋)
このように当時は大坂屋のニックネームとして”大掾”という名が広く知れ渡っていたようです。  (「秋色庵大坂家-大坂家の歴史」より)]

大坂家 (おおさかや) – 三田/和菓子 [食べログ]

秋色庵大坂家(しゅうしきあんおおさかや) – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向に秋色庵大坂家があります。

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