二軒茶屋・石橋旧跡

マーカーは暗越奈良街道 玉造名所 二軒茶屋・石橋旧蹟です。

二軒茶屋(にけんぢゃや)・石橋旧跡
[この地は、大坂から暗越(くらがりごえ)奈良街道を利用して奈良伊勢方面へ旅立つ、市外への出発点になっていた。街道をはさんで「つる屋」「ます屋」の2軒の茶店があり、見送り人とここで別れを惜しんだり、名物の深江の菅笠を求めるなどしたところである。「つる屋」の方は、明治40年ごろまであった。
 碑の東側、南北の道はかつて大坂城の東堀として利用された猫間(ねこま)川の跡で、ここには宝永(ほうえい)8年(1711、一説には慶安(けいあん)3年、1650)大坂では初めての石橋、黒門橋が架けられていた(碑の石材は、その石橋の残石である)。橋名の黒門は、豊臣大坂城の玉造門のことで、黒塗りであったことに由来する。この門は夏の陣後、一心寺に移築されたが、今次の戦災で焼失した。  (「1.二軒茶屋(にけんぢゃや)・石橋旧跡 – 大阪市」より)]

歌川國員/画 二軒茶や風景(wikipedia-photo)

カメラ南南西方向に暗越奈良街道 玉造名所 二軒茶屋・石橋旧蹟があります。