京の花街

「Google Earth で街並散歩(日本編)」で取り上げた、京の花街についてまとめてみました。

下地図右のサードバーのマーカーポイント名をクリックすると、上地図がそのマーカーポイントにズームし、下地図にマーカーポイントの吹き出しが表示されます。吹き出しにはマーカーポイントの案内ページのリンクが設定されています。

    京の花街
    [今日、京都には上七軒、祇園甲部、祇園東、嶋原、先斗町、および宮川町の6つの花街があり、これらを総称して京都の六花街と呼ぶことがある。また、嶋原以外の京都花街組合連合会に加盟する5地区を総称して五花街と呼ぶこともある。2014年3月、京都市は「京都をつなぐ無形文化遺産」に「京・花街の文化」(「五花街」と「島原」の文化)を選定した。
    上七軒
    京都市上京区真盛町から社家長屋町に位置する。 室町時代北野天満宮の再建の際に残った機材を使って7軒の茶店を建てた。これが「上七軒」の由来で、桃山時代豊臣秀吉北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を献上したところ大いに誉められて以来、また西陣の結びつきで花街としての繁栄を極める。毎年春になると『北野をどり』が上演されて少数ながらにして良い技芸を磨き披露している。上七軒・wikipedia-photo
    祇園甲部
    京都で最大の花街で日本国内のみならず海外でも知られている。江戸時代初期に八坂神社の門前で水茶屋を営業したのが始まりで以後、花街として発展し正式に許可された。このときに団子をモチーフにした紋章が作られ、現在も祇園甲部と祇園東の紋章として使われている。江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓舞妓娼妓合わせて1000人以上いたという。明治5年、東京奠都で寂れかけた京都を立て直そうと槇村正直が博覧会の余興として都をどりが上演された。振り付けの担当が三世井上八千代(本名 片山春子)が務めた。以後、祇園の舞は井上流一筋となる。祇園は多くの歌人や政治家等の著名人たちによって愛された。
    祇園東
    京都市東山区、四条花見小路上る東側に位置する花街。明治に入り祇園甲部から分離独立し、甲部に対し『祇園乙部』と称された。乙部は主に娼妓数が多かった。
    嶋原
    京都市下京区に位置する花街。正式名称は西新屋敷で6つの町(上之町、中之町、中堂寺町、太夫町、下之町、揚屋町)で構成されている。室町時代に公許された日本で最初の郭が三度の移転を経て嶋原と呼ばれるようになった。昭和時代後期に衰退し、京都花街組合連合会を脱会したため「京都の五花街」には含まれない。島原大門・wikipedia-photo
    先斗町
    京都市中京区に位置し、鴨川木屋町通の間にある花街。もともとは鴨川の州で、江戸時代初期に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていた。江戸初期、鴨川の周辺を開発し、そこに茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりで、すでに芸妓、娼妓が居住するようになり何度も取り締れていたが、川端二条にあった『二条新地』(にじょうしんち)の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立をした。先斗町・wikipedia-photo
    宮川町
    京都市東山区に位置しており、宮川筋二丁目から六丁目までが花街。出雲阿国の歌舞伎踊りの時代から始まり、最初は若衆歌舞伎の小屋と茶屋が立ち並び10代の少年が接待をしていたので「陰間」と呼ばれていた花街だった。その後形態が変わり宝暦年間、正式に認可された。明治、大正、昭和33年3月15日の売春防止法施行までは遊廓であり、今でも遊廓時代の建物が残っている。  (wikipedia・京の花街より)]

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