「Google Earth 街並散歩(日本編)」で取り上げたページで、地蔵尊に関する記載があるページについてまとめてみました。京都には町内会ごとにお地蔵さんを祀ってありますが、それらは割愛してネット検索で気にかかったお地蔵さんを表示しました。また、深泥池は「御菩薩池」の名のもとになった地蔵菩薩が、明治時代の神仏分離令で上善寺に移された縁で、また、北白川の石仏は子安観音ですが表示しました。
下地図右のサードバーのマーカーポイント名をクリックすると、上地図がそのマーカーポイントにズームし、下地図にマーカーポイントの吹き出しが表示されます。吹き出しにはマーカーポイントの案内ページのリンクが設定されています。
地蔵菩薩を本尊とするお寺
寂光院(六万体地蔵)、善願寺(腹帯地蔵)、仲源寺(目疾地蔵)、矢田寺(矢田地蔵尊)、染殿院(染殿地蔵)、宝憧三昧寺(壬生寺・延命地蔵)、石像寺(釘抜地蔵)、上品蓮台寺(延命地蔵)、地蔵寺(桂地蔵・京都六地蔵)、地蔵院(竹の寺・延命安産地蔵)、十輪寺(延命地蔵)、徳林庵(山科地蔵・京都六地蔵)
地蔵菩薩を祀るお寺等
上善寺(鞍馬口地蔵・京都六地蔵)、良恩寺(導引地蔵)、尊勝院(元三大師・米地蔵)、頂法寺(六角堂・一言願い地蔵)、法観寺(八坂の塔・夢見地蔵)、六道珍皇寺(小野篁邸跡・石地蔵)、寿延寺(洗い地蔵)、六波羅蜜寺(鬘掛地蔵)、清水寺(奥の院・脇士に地蔵菩薩)、清水寺(善光寺堂・首ふり地蔵)、安祥院(日限地蔵)、上徳寺(世継地蔵)、地主神社(水かけ地蔵)、清水寺(本堂・秘宝地蔵菩薩)、清水寺(百体地蔵堂)、蓮光寺(駒止地蔵)、退耕庵[玉章(たまずさ)地蔵]、来迎院(勝軍地蔵)、善願寺(腹帯地蔵)、引接寺(千本ゑんま堂・六道能化地蔵)、地蔵院(椿寺・鍬形地蔵)、祐正寺(つまとり地蔵)、源光寺(常盤地蔵・京都六地蔵)、広隆寺(腹帯地蔵・埋木地蔵)、善想寺(泥足地蔵尊)、権現寺(朱雀の地蔵堂)、神護寺、愛宕念仏寺(あたご本地仏火除地蔵)、化野念仏寺(延命地蔵)、嵯峨薬師寺(生六道地蔵)、華厳寺(鈴虫寺・幸福地蔵)、龍淵寺(雲林院延命地蔵)、金蔵寺(勝軍地蔵)、浄禅寺(鳥羽地蔵・京都六地蔵)、勝念寺(身代釜敷地蔵かましきさん)、西岸寺(油掛地蔵)、蓮華寺(石仏群と地蔵菩薩)、安祥寺(地蔵菩薩)、大善寺(伏見地蔵・京都六地蔵)
路傍のお地蔵さん
岩倉ルート石仏、深泥池、御土居の石仏群、北白川の石仏 (子安観音)、北白川の石仏 (二王・なかよし地蔵)、八体地蔵尊、義経大日如来、なすあり地蔵、北来地蔵菩薩、千佛延命地蔵尊、矢取地蔵、ぬりこべ地蔵
地蔵菩薩
[地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。
サンスクリット語ではクシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ [kSiti gharbha])と言う。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。
大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。
一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。
釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道(全ての生命は6種の世界 – 地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道 – に生まれ変わりを繰り返すとする)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされる。
日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。
日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られる。これは、仏教の六道輪廻の思想に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。
「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場や墓場に多く建てられた。また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町の結界の守護神」として建てられることも多い。これを本尊とする祭りとして地蔵盆がある。また道祖神のことをシャグジともいうことから、シャグジに将軍の字を当て、道祖神と習合した地蔵を将軍地蔵(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。 (wikipedia・地蔵菩薩より)]
地蔵盆
[地蔵盆(じぞうぼん)は、地蔵菩薩の縁日(毎月24日)であり、なおかつお盆の期間中でもある旧暦7月24日に向け、その前日の宵縁日を中心とした3日間の期間を指し、またそのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭のことをいう。地蔵盆は一般には寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっている。
旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)期間中であり、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。現代では、参加する人々の仕事などに合わせ、多少日程をずらして土日に行うところも増えている。地蔵盆が新暦の7月24日前後もしくは8月24日前後に分かれるのは、お盆を新暦に改めて勤めるのか、それとも旧暦風に8月に行うのかの差異である(お盆の記事を参照)。近年では8月23・24日に行われるのが一般的である。
地蔵菩薩は中近世以降子供の守り神として信仰されるようになった。広く知られた伝説によれば、地蔵菩薩が、親より先に亡くなった子供が賽の河原で苦しんでいるのを救うという。このことから地蔵祭においては特に子供が地蔵の前に詣り、その加護を祈る習わしになっている。ところによっては、仏僧による読経や法話も行われるが、おおむねそれらの多くは子供達に向けたものである。地域によっては、地蔵盆当日の朝に「数珠回し」を行う。これは、町内の子供が、直径2〜3メートルの大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順々に回すというものである。
今日では地蔵盆は子供のための祭とも言え、地蔵に詣った子供達は地蔵の前に集まった席で供養の菓子や手料理などを振る舞われる場合が多い。また地域の子供達が一堂に会するため、子供達に向けたイベントも行われたり、そのまま子供達の遊び場となることもしばしばである。 (wikipedia・地蔵盆より)]