京都御苑

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    京都御苑御門リンク
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    グーグル・アート・プロジェクト – 歴史アーカイブ – 「京都散策・明治初期~大正初期

    京都御苑
    [明治天皇とともに、公家らが明治2年(1869年)東京へ移った後、公家屋敷などが広がって公家町を形成していた京都御所周辺は大量の空き家の町となり荒廃した。この状況を嘆いた天皇は、明治10年(1877年)御所の保存を命じた。これを受け、京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷を撤去して整備したのが京都御苑の始まりである。昭和24年(1949年)には国民公園として広く開放された。現在は京都御所、仙洞御所、京都大宮御所の築地内は宮内庁が、2005年4月に開館した京都迎賓館外務省が、それ以外は環境省が管理している。今出川通(北側)、烏丸通(西側)、丸太町通(南側)、寺町通(東側)に囲まれた範囲で63ヘクタールの広さである。多くの木々が生い茂る公園内には、京都御所、仙洞御所、京都大宮御所、宮内庁京都事務所、皇宮警察本部京都護衛署などの宮内庁・皇宮警察関連の施設をはじめ、公家屋敷の遺構、公園の管理を行う環境省京都御苑管理事務所のほか、グラウンドやテニスコートもあり、市民の憩いの場になっている。
    京都御苑の正門 堺町御門・wikipedia-photo

    出水の小川の南端の写真・wikipedia-photo

    京都御苑出水の小川の南端の古木・wikipedia-photo

    ウィキメディアコモンズには、京都御苑の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・京都御苑より)]

    [京都御苑は、江戸時代二百もの宮家公家の邸宅が立ち並ぶ町でした。明治になって都が東京に移り、これら邸宅は取り除かれ、公園として整備され市民へ開放されました。戦後は国民公園として位置づけられ、御所と一体となった景観を維持しつつ、散策や休養等の場として親しまれています。現在苑内には百年を越える樹林が育ち、旧公家屋敷跡や庭園等歴史的遺構が点在し、古都の中心で特別な空間となっています。  (「京都御苑[環境省]」より)]

    国立国会図書館デジタルコレクション – 禁裡全圖

    幕末(慶応年間)の京都御苑周辺図(御苑内の説明板より)

      
    京都御苑平面図(「オープンストリートマップ」より。)

      
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    カメラ北方向が堺町御門になります。

    出水の小川のカメラで、カメラ西南西方向に出水の枝垂れ桜があります。

    出水の枝垂れ桜前のカメラです。

    カメラ西北西方向が京都御苑出水の小川の南端の古木で、右下に出水の小川、カメラ北北東方向に出水の枝垂れ桜があります。