マーカーは尼崎藩松平(桜井)家京屋敷跡です。
松平忠興
[松平 忠興(まつだいら ただおき)は、江戸時代後期の譜代大名。摂津国尼崎藩の第7代(最後の)藩主。尼崎藩桜井松平家10代。官位は従五位下・遠江守、兵庫頭。明治維新後子爵。
弘化5年(1848年)1月18日、6代藩主・松平忠栄の七男として誕生。
文久元年(1861年)8月6日、父の隠居により家督を譲られる。泊園書院(現・ 関西大学)に学び、慶応4年(1868年)1月の戊辰戦争では新政府に恭順し、所領を安堵された。2月に徳川氏との訣別の証として姓を桜井と改称する。
明治2年(1869年)の版籍奉還で尼崎知藩事に任じられ、明治4年(1871年)の廃藩置県で知藩事職を免職された。明治6年(1873年)1月、東京へ移住する。明治10年(1877年)、博愛社(後の日本赤十字社)の設立者のうちの1人となった。 (wikipedia・松平忠興より)]
「西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(1868)」(絵図四つ切左下・仏光寺通大宮通西入ル南に尼崎と記述されています。)35.00102865962374, 135.7483181910898
カメラ位置は仏光寺通大宮通西入ルで、カメラ南方向が尼崎藩松平(桜井)家京屋敷跡になると思います。