正行院(猿寺)

マーカーは正行院(猿寺)です。

国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号2/5・絵図四つ切左上、塩小路村左上に正行院が描かれています。)

正行院(猿寺)
[ビルが立ち並ぶJR京都駅前。その谷間に、浄土宗捨世派の正行院はある。猿寺の別名を持つこの寺は、円誉上人が約四百七十年前に開いた。
 昔、完又十郎という猟師が北山で大きな猿に出会った。弓矢で狙う又十郎を前に、猿は首の輪を引っ張りながら拝む。驚いた又十郎が「その首輪をよこせ。命は助けてやる」と言うと猿は首輪を置いて逃げた。首輪の中には竹の皮に包んだ紙切れがあり、何やら字が書いてある。又十郎が、道で坊さんに意味を尋ねると、字は円誉上人が書いた「南無阿弥陀仏」の名号だという。
 坊さんが言うにはこうだ。北山に庵(いおり)を結んでいた円誉上人は、動物をかわいがっていた。ある日、一匹の猿が上人のために自然薯(じねんじょ)を採ろうとして、がけから落ちて命を落とした。上人は猿を弔い、来世には人間に生まれ変わる仏縁を願い、山にいたほかの猿たちの首にお守りをつけてやった。この話に、殺生を重ねてきた又十郎は改心し、正行院の住職だった上人の弟子になった。
 この縁起から、正行院では円誉上人像のひざの上に合掌した猿の像をまつり、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」「為(な)さざる」などの「八猿」を正しい生き方として説く。  (「(2)猿寺縁起 – 京都新聞|ふるさと昔語り」より)]

[浄土宗捨世派(しゃせいは)の寺。天文7(1538)年,円誉道阿(えんよどうあ)によって開山されました。通称猿寺(さるでら)。通称は,元亀2(1571)年,猟師が猿の首につけられた南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の名号札(みょうごうふだ)を見てその命を助け,名号を書いた円誉の門弟になったという言い伝えに基づきます。
 本堂は,伏見城が壊された時,寛永年間(1624~44)徳川家光によって寄進され,改造して建てられたものと伝えられています。  (「都市史20 伏見城 – 京都市」より)]

「正行院、通称 猿寺」 – 絶景かなドットコム(京都)

正行院 (猿寺) – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向が正行院(猿寺)です。