マーカーは藤堂藩藩邸跡碑です。
[享保2(1717)年ごろにまとめられた『京都御役所向大概覚書』の「京都大名屋鋪・拝領地並買得屋鋪之事」には、「拝領買得屋鋪数合九十六ケ所」が列記されている。その冒頭には藤堂和泉守の「東堀川通蛸薬師下ル町」の屋敷が書かれ、二つ目には播州姫路の酒井雅樂守の「東堀川通二條上ル町」の屋敷が記載されている。 (「藩邸 – 国土地理協会」より)]
藤堂藩藩邸跡
[藤堂家は,伊勢津の大名でこの地に藩邸があり,幕末には天誅組掃討に当った。元治元(1864)年,禁門の変による火災でこの藩邸は焼失した。この石標は藤堂藩藩邸の跡を示すものである。
所在地 中京区東堀川通蛸薬師下る東側(堀川高校正門前)
位置座標 北緯35度00分18.6秒/東経135度45分07.3秒(世界測地系)
建立年 1968年
建立者 京都市
寸 法 高88×幅19×奥行19cm
碑 文
[西]
此付近藤堂藩々邸跡
[北]
昭和四十三年三月京都市
調 査 2002年2月6日 (「NA064 藤堂藩藩邸跡 – 京都市」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 文久改正新増細見京絵図大全(文久3 [1863])」(絵図中央・堀川右、綾小路と蛸薬師通の間に藤堂と記述されています。明治期前後に、そこの左下方向、四条通と綾小路の間の永井ヤシキを手に入れると思われます。)
「西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(1868)」(絵図中央・堀川右、綾小路と蛸薬師通の間に藤堂と記述されています。また、その左下方向、四条通と綾小路の間にも藤堂ヤシキが記述されています。)
カメラ東北東方向石垣右に藤堂藩藩邸跡碑があります。