鳥羽伏見の戦跡碑

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鳥羽伏見の戦跡碑
[大政奉還大坂城にいた徳川慶喜(1837~1913)は薩摩を討つため上洛を決意,慶応4(1868)年正月3日,幕府軍本隊を鳥羽街道伏見街道に分けて京都に進軍した。鳥羽街道を北上する幕府軍と,これを阻止しようと竹田・城南宮周辺に布陣した官軍は,小枝橋南方一帯(HU059 鳥羽伏見の戦勃発の地小枝橋 – 京都市)で衝突した。幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いであった。この石標は,翌年夏まで続いた戊辰戦争発端となった鳥羽伏見戦跡を示すものである。
所在地 伏見区下鳥羽三町
位置座標 北緯34度56分02.2秒/東経135度44分35.7秒(世界測地系)
建立年 1976年
建立者 辻英雄
寸 法 高100×幅51×奥行30cm
碑 文
[西]
鳥羽伏見の戦跡
功護書(印)
[北]
昭和五拾壱年四月吉日建之辻英雄
調 査 2002年3月4日  (「HU061 鳥羽伏見の戦跡 – 京都市」より)]

カメラ東南東方向に鳥羽伏見の戦跡碑があります。