マーカーは五番ノ橋です。
五番ノ橋
[現在の橋は明治45年に造られた、鳥羽街道(千本通)の納所川に架かる橋です。鳥羽街道に沿う付近一帯には、一番町から九番町と呼ばれる地名が残り、この番号は朝鮮通信使のための番役などの割り振りであったと思われます。 (「36.淀城跡 納所 水垂 – 京都市埋蔵文化財研究所」より)]
「西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 淀惣絵図(成立推定 近世前期写)」[内容より淀藩主が永井氏時代の絵図で、寛永10年以後、寛文9年以前。淀の大橋と小橋が描かれるので、寛永16年以後。城郭内の北側に「亀之介様」(虫損あり、推読)あり、尚征(尚政の子)の子で、後に一門で摂津高槻城主永井直時の養嗣子となる直種か(万治元年生)。概ね寛文初年頃の成立か。やや後年の転写本か。](絵図中央に淀小橋が描かれ、その左方向が納所町で、町中に描かれる橋が五番ノ橋と思われます。)
カメラ南南東方向が五番ノ橋で、左親柱に明治四十五年と刻まれています。