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勝念寺(かましきさん)
[安養山 往生院 勝念寺と号する浄土宗知恩院末の寺院です。織田信長公が深く帰依した聖譽貞安上人によって天正15年(1587)に開創されました。
天正10年本能寺の変で信長は本能寺で、嫡男信忠は御池御所(烏丸二条)で自刃しました。正親町天皇の勅命により、信長、信忠父子の菩提を弔うため、聖譽貞安上人に信忠自刃の地である御池御所を賜り、信忠の法名に因んで大雲院という寺院を開創しました。同時に、時の天下人豊臣秀吉公の城下町である此処伏見丹波橋に布教の拠点とするべく一寺を開創し、勝念寺と号しました。
安永7年(1779)火災により本堂・庫裏と共に本尊・過去帳並びに貴重な文物も多く焼失してしまいました。しかし山門・地蔵堂は離れていたために、幸い難を逃れ、織田信長公より賜った釜敷地蔵尊、閻魔法王像自作霊像、他仏像や書物も今日に残り、焼失前の歴代住職の名も紙片に残されていました。因みに地蔵堂は土蔵造り二階建てとなっており、織田信長公より賜った貴重な仏像などを保管する宝物庫となっていました。
地蔵堂は、文禄4年(1595)創立と記されています。伏見城が被災した慶長大地震を一年後に経験している筈ですが、建て直されたのか、修繕したのか不明です。
安永7年の火事により創建当初の本尊は焼失してしまいました。焼失前の本尊は坐像の阿弥陀三尊であったと記されております。安永9年再建の本尊は当時の住職の師僧 小松谷 義柳上人の念持仏と記されております。蓮台は二つに割れ、光背には両側に迦稜頻伽が、上方には化仏が彫られています。 (「京都 伏見 勝念寺 かましきさん 由緒 – WIX.com」より)]
[織田信長公より賜った身代釜敷地蔵尊を祀っています。織田信長公が深く帰依した貞安上人によって天正十五年(1587)に開創されました。
「身代釜敷地蔵尊」は、地獄で釜茹での責めに苦しんでいる人の身代わりとなって、自ら煮えたぎった釜の中に入り、地獄と此の世で苦しむ人の苦を取り除き、幸せへと導いてくださるお地蔵様です。「かましきさん」と呼ばれ江戸時代より信仰を集めています。
4月8日の釜敷地蔵尊供養会では古い版木から摺った御影が授与されます。9月の「萩振る舞い」には多くの方が萩を見に来られます。 (「かましきさん – WIX.com」より)]
[山門左側に、「天明義民柴屋伊兵衛墓所」碑が立っている。伊兵衛は伏見奉行小堀正人の悪政を他の義民と共に江戸幕府に直訴し、後に京都奉行に投獄され獄死したという人物。 (「京街道・・・・・・山科追分から大坂まで東海道57次といわれた道 – 街道」より)]
「勝念寺(かましきさん) – Google Map 画像リンク」
カメラ南方向が勝念寺(かましきさん)山門で、山門左に「天明義民柴屋伊兵衛墓所」碑が立っています。