マーカーは墨染寺です。
墨染寺
[亡き人を慕う桜伝説
美しい墨染桜(すみぞめざくら)が咲くことで知られる墨染寺は「墨染(すみぞめ)」の地名の由来となった寺です。寺伝では寛平(かんぴょう)3年(891)太政大臣藤原基経(もとつね)がこの地に葬られたのを哀悼して、上野岑朝臣(かんつけのみねおあそん)が桜に向かって歌を詠むと、花が薄墨色に染まってしまったといわれています。豊臣秀吉はこの墨染桜の話を聞き、寺領千石を与え、日蓮宗墨染桜寺として再興しました。本堂前にある御手洗鉢は明和(めいわ)5年(1768)年に歌舞伎役者の2代目中村歌右衛門が寄進したもので「墨染井」と呼ばれています。 (「墨染寺」より)]
[墨染寺(ぼくせんじ)はその名の通り墨染桜(すみぞめざくら)で知られる。京阪電車の墨染駅(すみぞめ)そばにある小さな寺だ。同じ漢字でも読みが違うのがおもしろい。貞観16年(874年)に創建された。狭い境内は桜が10本ほどだが、密度濃く咲くのでピーク時は見事な景観が現れる。肝心の墨染桜だが、現在のは三代目で植え継がれて20年に満たない若木である。境内のソメイヨシノの開花より少し遅れて咲く。平安時代に太政大臣藤原基経が亡くなった際、歌人上野峯雄(かんつけのみねお)が悲しんで歌を詠んだ。すると桜がその心を感じて薄墨色に咲くようになったと言われる。
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け(古今集)」
実際は無色で真っ白に咲き、その後次第に墨色を帯びてくる。謡曲や歌舞伎でも知られる。 (「114 墨染寺」より)]
「京都を歩く(53) 隠れた桜の名所② 亡き人を慕う桜伝説~墨染寺」
墨染寺資料リンク
「都名所図会」・「巻之五 前朱雀再刻 伏見墨染 (墨染)」、「巻之五 前朱雀再刻 伏見墨染 (墨染)解説」、「巻之五 前朱雀再刻 墨染寺解説 」
伏見墨染 (墨染)(拡大図)
[墨染寺図会中央下に墨染寺、左ページ上に海宝寺が、右ページ上に伏見城跡が描かれている。]
「深草山 墨染寺 (桜寺) – Google Map 画像リンク」
墨染寺山門前のストリートビューです。
墨染寺境内のストリートビューです。