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大津街道
[大津街道(おおつかいどう)は、大津宿と伏見宿を結ぶ街道。東海道・京街道の一部。伏見街道とも呼ばれる。 東海道の大津宿から京都中心部を通らず、髭茶屋追分から山科盆地を南下し、勧修寺から稲荷山の南麓に抜ける道(大岩街道)を通って京街道の伏見宿に至る街道。現在の滋賀県道・京都府道35号大津淀線である。
大津宿までの東海道と大津街道、伏見宿から大阪までの街道を総称して東海道五十七次とすることもある。江戸幕府が参勤交代の西国大名と朝廷との接触を嫌ってつくられたとされる。 (wikipedia・大津街道より)]
[京都ピアノ技術専門学校の先で、右斜めに入って行く。わずかながら連子格子、虫籠窓、犬矢来など京町家の家並みが残っている。深草谷口町交差点で府道に合流する。手前の橋袂に「仁明天皇御陵」、「桓武天皇陵」と刻まれた石標があった。府道を100mほどすすんで左の路地に入り、つきあたり丁字路を鍵の手に右・左とまがり、天理教会前でJR奈良線をわたる。JR藤森駅前で右折して京都教育大、藤森神社参道入口を通って本町通りの伏見街道に出る。ここが大津街道の伏見起点である。この後、伏見街道から伏見の町をジグザグに対角線上に通り抜けて竹田街道の終点、京橋にでる。ここが東海道54番目の宿場伏見宿の中心地であった。 (「大津街道」より)]
[桓武天皇陵は、元禄年間の修陵で深草鞍ヶ谷町浄蓮華院境内の谷口古墳が考定され、その後幕末に改めて京都市伏見区桃山町の現陵の場所に定められた。 (wikipedia・桓武天皇 – 陵墓・霊廟より)]
「拾遺都名所図会」・「巻之四 前朱雀 桓武天皇陵」、「巻之四 前朱雀 桓武天皇陵解説」、「巻之四 前朱雀 茶店に旅人の憩う図」、「巻之四 前朱雀 馬の足を洗う図」
桓武天皇陵(拡大図)
[図会下の道が大津街道になります。]
茶店に旅人の憩う図(拡大図)
[伏見(ふしみ)より大亀谷(をゝかめたに)を経て大津(をゝつ)へいづる道は、秀吉(ひでよし)公伏見御在城の時より開初し也。今も関西の列侯吾妻へ参勤し給ふ時は、此道を通り東海道に趣き給ふ。
軒うらに去年の蚊うごく桃の花 鬼貫]
馬の足を洗う図(拡大図)
[ほちほちとそぼふる雨に蚊遣かな]
カメラ位置は深草谷口町交差点付近・七瀬川手前で、カメラ東方向が大津街道に京町家の家並みが残っている区域になります。また、カメラ北北東方向・電柱左に仁明天皇御陵案内石標、カメラ南南東方向に深草毘沙門天石標があります。
カメラ北東方向が浄蓮華院(深草毘沙門天)山門です。寺院の後ろの藪が、江戸時代に考定された桓武天皇墓陵があります。
カメラ西方向が仁明天皇陵参道です。