大徳寺(方丈)

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大徳寺(方丈)
[勅使門、三門仏殿法堂がほぼ一直線に並び、これら中心伽藍の北・南・西に20ヶ寺以上の塔頭寺院が並ぶ。
方丈国宝) – 寛永12年(1635年)の再建で、禅宗様建築である法堂や仏殿と異なる日本様式の建物である。方丈は正面29.8メートル、側面17.0メートル、入母屋造で桟瓦葺(本来は檜皮葺)、開祖・宗峰妙超(大燈国師)の300年遠忌を記念して建てられたもの。方丈は元来は住職の居室を指したが、後に住持の居間は別所に移転され、朝廷勅使幕府役人の接待や宗教行事などに用いられる空間となった。通常の方丈建築は、前後2列・左右3列の計6室を並べる平面形式が多いが、大徳寺方丈は前後2列・左右4列の計8室をもつ特異な形式で、向かって右から2列目の前後2室は、妙超の塔所(墓所)である雲門庵となっている。雲門庵の一部は方丈北面の広縁を越えて北側に突出している。妙超は自らの死後に墓所として別の寺院を建てるには及ばぬと遺言していたため、このような形式になっている。方丈の障壁画84面は狩野探幽の作。
●玄関(国宝) – 寛永13年(1636年)に豪商・後藤益勝の寄進で建立された。桁行6間、梁間1間、一重、唐破風造で桟瓦葺。中心伽藍の北側に位置し、土塀に囲まれた一角にあたる。
●方丈南庭(国指定史跡特別名勝) – 枯山水庭園。天祐和尚の作庭。
大徳寺本坊(宗務本所)門・wikipedia-photo

本坊(宗務本所)庫裏・wikipedia-photo

文化財
観音猿鶴図 南宋時代 牧谿筆(国宝)・wikipedia-photo

絹本著色大燈国師像 – 開祖宗峰妙超の頂相(国宝)。wikipedia-photo

四季松図 狩野探幽筆(重要文化財)・wikipedia-photo

    
芙蓉図 伝牧谿筆(附:千利休添文)(重要文化財)
芙蓉図・wikipedia-photo

千利休筆 芙蓉図添文・wikipedia-photo

織田信長像 狩野永徳筆 大徳寺蔵・wikipedia-photo

  (wikipedia・大徳寺より)]

大徳寺本坊(宗務本所)門前のカメラです。

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