千代の古道

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    千代の古道
    千代の古道について、「都名所図会」・「巻之四 右白虎再刻 千代の古道 解説」で記述されていますが、解説の翻刻文は下記の記述になっていて、千代の古道のルートについては明確なものではないようです。
    『千代の古道〔広沢のひがし三町ばかりにあり、常盤へ通ふ細道なり〕
    〔千代の古道は正しき名所にあらざるよし名所の諸書のせたり、既に定家卿為家卿をはじめ、嵯峨の詠合に古歌多し、定りたる名所にあらざるといふも其謂あらず〕』
    千代の古道 – 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所では、『梅宮から広沢の池、嵯峨大覚寺に至る府道に「千代の古道」の道標が立てられています。古代嵯峨野は神聖な葬送の地であり、多くの古墳が残された地域です。また、平安時代には藤原定家らが歌に詠んだ、嵯峨院(大覚寺)へ通じる貴族の遊饗の道ともなっていました。
    山背遷都に多大な貢献をする渡来系氏族秦氏葛野大堰を築き、太秦を基盤に農耕や養蚕の技術を伝え、大いに栄えました。そして聖なる嵯峨野の地に古墳を次々と造りながらその勢力を拡大して行きます。嵯峨野の葬送地に至る美しい景観を持つ古道は、嵯峨院(大覚寺)の造営と共に、貴人たちが往還する遊饗の道へと変化して行きました。』として、散策ルートを紹介しています。
    また、27.千代の古道2 – 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所では、『千代の古道は京より大覚寺(嵯峨院)周辺に通じる道です。平安時代前期の歌人在原行平(ありわらのゆきひら)(818年~893年)の嵯峨天皇を偲ぶ和歌に詠まれた「千代の古道」は、後世に歌枕として詠まれ、いくつかの古道が比定されています。その一つに現在の下立売通西端から嵯峨に延びる道(通称嵯峨街道)があります。道沿いには寺院跡や集落跡などの遺跡がみられます。千代の古道の東部、花園地区には平安京西北域に室町時代に建立された妙心寺の寺域が広がっています。史跡妙心寺境内ではこれまでに発掘調査や立会調査で、平安時代から江戸時代の遺構が多数発見されています。その南西には平安時代後期に平安京の西側に隣接して造営された法金剛院が寺域を縮小しながらも、今に法灯を伝え残っています。これまでの発掘調査で旧境内の様子が明らかになっています。千代の古道中央部、常盤・太秦地区では古墳時代から江戸時代の遺跡である常盤仲之町遺跡飛鳥時代に建立された広隆寺旧境内があり、発掘調査が数多く行われています。また、常盤地区の北側には、平安時代から中世の集落跡である草木町遺跡があります。古道の西部、広沢池周辺には古墳が多数確認されています。』として、散策ルートを紹介しています。
    京都西ロータリークラブでは「千代の古道は,平安京と嵯峨方面とを結ぶ古道のこと。古来,和歌に多く詠まれた。」として、石標に歌を刻んだ道標を設置しています。京都市の「いしぶみデータベース」では、「千代の古道」として、京都西ロータリークラブが過去に設置した「千代の古道碑」をデータ化していますので、このページで「千代の古道 – 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所」を参照してまとめてみました。