大酒神社

マーカーは大酒神社です。

大酒神社
[大酒神社(おおさけじんじゃ)は、京都府京都市右京区太秦蜂岡町にある神社。式内社で、旧社格村社
祭神は次の5柱[1]。
主祭神
  ●始皇帝(しんのしこうてい)
  ●弓月王(ゆんずのきみ)
  ●秦酒公(はたのさけのきみ)
相殿神
  ●兄媛命(えひめのみこと) – 呉服女。
  ●弟媛命(おとひめのみこと) – 漢織女。
延喜式神名帳での祭神の記載は1座。同帳では「大酒神社 元名大辟神」とあり、元の神名は「大辟神」であった。
この大酒神について、広隆寺縁起である『広隆寺来由記』(山城州葛野郡楓野大堰郷広隆寺来由記、明応8年(1499年)成立)では秦の始皇帝の祖神とし、日本に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔、秦氏遠祖)が勧請したとする。伝承自体の真偽は明らかでないが、伝承に見えるように古くから太秦一帯を開発した秦氏の氏神であったと推測され、史書に見える秦酒公(はたのさけのきみ)と大酒神を関連づける説もある。一方近世の『雍州府志』では祭神を物部守屋とし、一説に秦河勝とする。また『都名所図会』では祭神を天照大神八幡神・天満天神とし、別説に秦の始皇帝とする説や、秦河勝とする説を載せる。
これらとは別に近年の研究では、元の神名の「大辟(大避)」から、「災厄を避ける(遠ざける)」いわゆる道祖神とする説が挙げられている。この説では、『空華日工集』・『広隆寺縁起』において神体が石と記されることと、一般に石神の多くが猿田彦神(道祖神)とされることとが関連づけて指摘される[6]。一方、「オホサケ」を「大裂」の意とし、土木技術によって大地・川を裂き開拓を行なった秦氏をたたえる神格とする説もある。
このように古代の祭神の神格は不詳ながら、明治16年(1883年)の神社明細帳では上記5柱が祭神として記され、現在に継承されている。
創建に関して『広隆寺来由記』では、仲哀天皇(第14代)の時に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔)が「秦始皇之祖神」を勧請したことに始まるとする。
現在は広隆寺の東隣に小祠として鎮座するが、明治の神仏分離以前には広隆寺の桂宮院内に鎮座する伽藍神であった。
大酒神社の祭礼としては、10月12日夜(古くは旧暦9月12日)に行われる牛祭(うしまつり)が知られる。長和年間(1012年-1017年)に源信(恵心僧都)が念仏守護神として麻多羅神を勧請したのに始まると伝え、神仏習合期は広隆寺の僧侶によって斎行された。江戸時代の祭の様子は『都名所図会』にも描かれている。
祭りでは異形の面をつけた麻多羅神役の者が牛に乗り、四天王・行列を従えて広隆寺境内を練り歩き、最後に薬師堂前で祭文を読み上げる。この牛祭は京都の三大奇祭の1つに数えられ、京都市指定無形民俗文化財に指定されている。
広隆寺・wikipedia-photo、鳥居・wikipedia-photo、本殿・wikipedia-photo、『都名所図会』「太秦牛祭図絵」・wikipedia-photo  (wikipedia・大酒神社より)]

大酒神社 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が大酒神社参道です。

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