嵯峨薬師寺

マーカーは嵯峨薬師寺です。

嵯峨薬師寺
[平安時代初期の818年(弘仁9)、世に蔓延する悪病を憂慮した嵯峨天皇が、弘法大師薬師如来の彫刻を命じた。この像が本尊の薬師如来坐像である。嵯峨天皇勅願寺として大覚寺に属していたが、明治時代以降、浄土宗知恩院派に属し、清凉寺境内塔頭となっている。寺宝に嵯峨天皇像、阿弥陀三尊像などを伝え、もとこの寺の付近にあった福生寺の遺仏と伝える地蔵菩薩像や小野篁像を安置している。「生六道(しょうのろくどう)」と称された福正寺は、小野篁が冥土から帰り着いたところと伝え、その出口という7基の井戸が発掘された。ただしこの井戸は間もなく埋め戻され、宅地となっている。  (「京都観光Navi:薬師寺 – 京都観光オフィシャルサイト 京都観光Navi」より)]

[嵯峨薬師寺は、「死の六道」六道珍皇寺に対して「生の六道」と言われている。冥土へ行くことを「死ぬ」、冥土からこの世に戻ることを「生まれる」と考え、嵯峨薬師寺が「六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界)」からの出口であることから、「生六道(しょうろくどう)」と呼ばれ、嵯峨薬師寺の地蔵尊は「生六道地蔵菩薩」と崇められている。そして、平安の歌人小野 篁(たかむら)は毎夜「死の六道」である六道珍皇寺の空井戸から冥土へ出かけて閻魔王を助け、朝になると、「生の六道」である嵯峨六道町の福生寺(現在の嵯峨薬師寺)にある空井戸からこの世へ戻ってきていた、との伝説はあまりにも有名である。
嵯峨薬師寺の地蔵盆での法要の最中、京の町々では町内の地蔵尊を囲み子供達が遊んでいる。毎月24日が地蔵尊の縁日ではあるが、8月の縁日については同月の盂蘭盆の呼び名に因んで、特に「地蔵盆」と呼んでいる。「地蔵盆」は京都を中心に関西ではとても盛んな行事である。  (「最後の送り火 地蔵盆 – 京に癒やされ by 五所光一郎 [京都 …」より)]

生の六道 小野篁公遺跡(碑は本堂西側に設置されています。)
[冥土通いの逸話で有名な小野篁(802~52)は,珍皇寺(東山区松原通東大路)門前の六道の辻から冥府に赴き,この地から現世に戻ったという伝説がある。篁は,地獄で苦しむ亡者のために罪を受けているという地蔵尊に出会い,感激して現世に戻り福生寺を建立して地蔵尊を祀ったという。寺は江戸時代頃に消滅したが,地蔵尊は薬師寺に伝えられた。この石標は,生の六道と呼ばれた福生寺の跡を示すものである。
所在地 右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町(薬師寺内)
位置座標 北緯35度01分23.7秒/東経135度40分25.3秒(世界測地系)
建立年 1978年
建立者 竜蟠山薬師寺
寸 法 高95×幅22×奥行15cm
碑 文
[南]
生の六道 小野篁公
遺跡
[北]
招金山福生(正)寺縁りの寺
嵯峨竜蟠山薬師寺建
[東]
昭和五十三年八月二十四日
調 査 2002年2月28日  (「UK026 生の六道 小野篁公遺跡 – 京都市」より)]

薬師寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が清凉寺西門で門を潜って左に嵯峨薬師寺があります。

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