隣華院

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隣華院
[長谷川等伯筆方丈襖絵「水墨山水図」(国の重要文化財)、狩野永岳筆襖絵を所有。  (wikipedia・妙心寺 – 山内塔頭より)]

[隣華院は妙心寺塔頭の一寺で臨済宗妙心寺派に属している。開山南化玄興、開基は脇坂安治(わきざかやすはる)、慶長4年(1599)の創建である。南化玄興(1538-1604)は、「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と、火炎の中に身を投じた快川紹喜の弟子として知られ、元亀元年(1570)33歳の若さで妙心寺58世になった。以来住持たること四度におよんでいる。天龍寺策彦周良のすすめで「安土山記」を草して織田信長を大いに喜ばせたり、美濃国瑞龍寺に新たな丈室を営んだり、あるいは妙心寺山内に大通院を開創、また、尾張国妙興寺の復興に尽力、さらには後陽成天皇豊臣秀吉上杉景勝直江兼続らに帰依された桃山期における傑僧である。南化亡き後の当院は脇坂安治の息の一人、定水玄済が継いで以来脇坂家縁者が住持をつとめ、同家の香華所とされてきた。長谷川等伯の「山水図」は創建時の襖としてのこされているが、その他の建物等は改築や改修が加えられている。
当院9世江山祖成が文化14年(1718)に大願を立て、ひきついだ10世南海玄等によって大改修が進められた。「華園隣華禅院再建記」によると、文政3年(1820)正月に工事をはじめ、約5年を要して現在の客殿(方丈)の上梁を果たし、その後も諸堂を建て、表門の重修、大玄関の再造など、すべてを了えたのは天保3年(1832年)。土木工事からすると十有六年の長時日を費やしている。等伯の「山水図」を除く客殿の障壁画はこの再建時に狩野永岳によって描かれた。それからまた星霜が流れて再び老朽化が進んだ折から、この度「定慧円明国師」400年遠諱(おんき・50年毎に行われる大法要)を記念に、多くの方々のご支援を得て客殿や大玄関など諸堂の修復が終わった。  (「妙心寺塔頭隣華院ホームページ – 隣華院の紹介」より)]

[開祖は妙心寺58世南化玄興(なんかげんこう)(定慧円明国師)。慶長4年(1599)、脇坂泰治が南化を開祖に請じて創建された。近世初頭の傑僧である南化は豊臣秀吉の帰依を受け、大阪城にて「虚堂録(きどうろく)」を講じているが、そのおりの講本も残されている。南化のあとは安治の三男である定水(じょうすい)禅師が嗣ぐ。さらに文化文政時代(1804~30)、脇坂安董(やすただ)・脇坂安宅(やすおり)父子が再建をおこない、脇坂家の菩提所とされていた。「豊臣棄丸(すてまる)坐像」(重文)、および方丈に長谷川等伯筆の障壁画(重文)を有する。  (「大本山妙心寺 – 塔頭寺院案内 – 隣華院」より)]

妙心寺 隣華院(人形供養寺) – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が隣華院山門です。

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