霊雲院

マーカーは霊雲院です。

霊雲院
[戦国時代妙心寺は、発展への大きな転機を迎える時代です。妙心寺の境内地が今日のように広くなるのは、永正6年(1509)のことです。利貞尼という人が、仁和寺領の土地を買い求め、妙心寺に寄進されたからです。
 そこには、やがて七堂伽藍が建てられます。また、塔頭も創建されていきます。とくに、塔頭では、龍泉庵、東海庵に加え、大永3年(1523)に聖澤院、大永5年(1526)には霊雲院が創建されます。これで、四派四本庵による妙心寺の運営体制が確立するのです。四派とは、龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派をいいます。四本庵は龍泉庵・東海庵・霊雲院・聖澤院のことです。  (「妙心寺 : 臨済・黄檗 禅の公式サイト – 臨黄ネット」より)]

[大休禅師に禅の教えを請う人は多く、後奈良天皇もそのお一人でした。隣接する御幸の間は、後奈良天皇の接見の場として造られたもので重要文化財に指定されています。書院南の縮小式蓬莱枯山水は、史跡名勝に指定されています。「寿は特芳」と讃えられています。  (「霊雲院(れいうんいん)|境内案内|京都花園 臨済宗大本山 妙心寺」より)] 

霊雲院 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が霊雲院山門です。

霊雲院資料リンク
都林泉名勝図会」・巻之四 霊雲院巻之四 霊雲院解説

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