養源院

マーカーは養源院です。

養源院
[大本山妙心寺塔頭の一であり、妙心寺中興開山 日峰宗舜禅師の塔所である。応永の乱(1399年)で、足利義満により廃絶に追い込まれた妙心寺を中興する為に上洛した日峰宗舜が、開山塔の隣に庵を設けたのが養源院の始まりである。その後、細川持之の保護の下に文安5 年(1448年)に本堂等が創立され、寺観が整えられていった。応仁の乱にあい、堂舎を焼いたが、文明10年(1478年)4月に再興された。現在の本堂は棟札から慶長4年(1599年)に造営されたことが判明している。明治42年(1909年)にこけら葺であった本堂の屋根を瓦葺に改める。本堂及び玄関が昭和58年4月15日京都府指定建造物第4号に指定される。平成6年6月30日、2年半の工事期間をかけ、本堂の全面解体修理を完了し(こけら葺の屋根になる)、現在に至る。  (「妙心寺山内 養源院 – Biglobe」より)]

[妙心寺6世住持の拙堂宗朴(せつどうそうぼく)は、足利氏に反旗をひるがえした大内義弘と関係が深かったため、将軍足利義満の怒りを買った。応永6年(1399年)、義満は妙心寺の寺領を没収し、拙堂宗朴は大内義弘に連座して青蓮院に幽閉の身となった。妙心寺は応仁の乱(1467-1477年)で伽藍を焼失したが、中興の祖である雪江宗深の尽力により復興。細川家豊臣家などの有力者の援護を得て、近世には大いに栄えた。  (wikipedia・妙心寺より)]

日峰宗舜
[日峰宗舜(にっぽうそうしゅん、応安元年/正平23年(1368年)- 文安5年1月26日(1448年3月1日))は、南北朝時代から室町時代中期にかけての臨済宗の僧。俗姓は藤原氏。京都の出身。諡号は禅源大済禅師。15歳の時天龍寺出家得度し、その後は諸国をめぐり摂津国海清寺の無因宗因に師事して参禅した。無因の没後は、尾張国に赴き1415年(応永22年)犬山の瑞泉寺を開創した。1429年(永享元年)当時荒廃していた妙心寺に請われて入寺し、養源院などを建てて妙心寺の復興に尽力した。1447年(文安4年)勅命により大徳寺の住持となったが、翌1448年(文安5年)妙心寺養源院で没した。  (wikipedia・日峰宗舜より)]

養源院 – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向が養源院です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*