広隆寺

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    広隆寺
    [広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦(うずまさ)にある寺。宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。帰化人系の氏族である秦氏(はた)の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。国宝の弥勒菩薩半跏思惟像を蔵することで知られ、聖徳太子信仰の寺でもある。毎年10月12日に行われる牛祭は、京都三大奇祭として知られるが、近年は不定期開催となっている。
    広隆寺は弘仁9年(818年)の火災で全焼し、創建当時の建物は残っていない。承和3年(836年)に広隆寺別当(住職)に就任した道昌空海の弟子)は焼失した堂塔や仏像の復興に努め、広隆寺中興の祖とされている。その後、久安6年(1150年)にも火災で全焼したが、この時は比較的短期間で復興し、永万元年(1165年)に諸堂の落慶供養が行われている。現存する講堂(重要文化財)は、中世以降の改造が甚だしいとはいえ、永万元年に楼完成した建物の後身と考えられている。
    牛祭
    太秦の牛祭(うしまつり)は京の三大奇祭の一つに挙げられる。明治以前は旧暦9月12日の夜半、広隆寺の境内社であった大酒神社の祭りとして執り行われていた。明治に入りしばらく中断していたが、広隆寺の祭りとして復興してからは新暦10月12日に行われるようになった。仮面を着けた「摩吒羅(またら/まだら)神」(摩多羅神)が牛に乗り、四天王と呼ばれる赤鬼・青鬼が松明を持ってそれに従って四周を巡行し、薬師堂前で祭文を独特の調子で読んで参拝者がこれに悪口雑言を浴びせる。祭文を読み終わると摩吒羅神と四天王は堂内に駆け込む。
    大酒神社社伝によれば、平安時代比叡山恵信僧都(源信)極楽浄土阿弥陀如来を拝する願いを持っていたところ、広隆寺絵堂(講堂)のご本尊を拝めばよいと夢のお告げがあり、恵心は大いに喜んで三尊像を手彫りして念仏会を修た。そして常行念佛堂を建立し、念仏守護の神、摩吒羅神を勧請して祈祷したのが始まりとされている。かつては毎年10月12日に行われていたが、現在は牛の調達が困難のため不定期開催となっている。牛祭(都年中行事画帖 1928年)・wikipedia-photo  (wikipdia-広隆寺より)]

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    カメラ北方向が広隆寺楼門です。

    カメラ北方向が上宮王院太子殿で、カメラ東方向右に手水舎、左奥に太秦殿があります。またカメラ南西方向に講堂(赤堂)があります。

    広隆寺上宮王院太子殿北西角付近のカメラで、カメラ初期設定方向が上宮王院太子殿になり、左方向池端に弁天社、さらに左方向に庫裏門及び受付があります。

    「京都 太秦牛祭り」[近年では1995年、2000年、2003年に行われたそうです。  (「京都3大奇祭|京都のITベンチャーで働く女の写真日記」より)]

    [伽藍
    楼門を入り、参道を進むと右手に講堂(重要文化財)、太秦殿(秦河勝を祀る)、左手に薬師堂、能楽堂、地蔵堂(平安時代地蔵菩薩坐像を安置)などがある。参道正面には本堂にあたる上宮王院があり、その左手(西)には庫裏、北側には霊宝殿と旧霊宝殿がある。このほか、庫裏の西方、奥まったところには桂宮院本堂(国宝)がある。
    ●楼門-寺の正門である。元禄15年(1702年)の建立と伝える。
    ●薬師堂 – 木造薬師如来立像(平安時代前期、像高101.3センチ)を安置する。通常の薬師如来像と異なり、女神の吉祥天像のような像容に造られた吉祥薬師像である[3]。
    ●地蔵堂 – 「腹帯地蔵」と通称される木造地蔵菩薩坐像を安置する。本像は平安時代後期の作で、像高275.8センチ。
    ●講堂(重要文化財) – 正面5間、側面4間、寄棟造、本瓦葺き。瓦銘や近世の絵図によれば元は「金堂」と呼ばれていた。永万元年(1165年)の再建で、京都市内に残る数少ない平安建築の一つであるが、永禄年間(1558-1570)に改造を受け、近世にも修理を受けていて、建物の外観や軒回りには古い部分はほとんど残っていない。堂内は敷瓦を敷いた土間とし、正面柱間は中央3間を吹き放し(壁や建具を入れない)、左右端の間は花頭窓入りの土壁とする。堂内には平安時代の様式が見られ、身舎(もや)は梁行方向に虹梁(こうりょう)を2段に掛け、板蟇股(いたかえるまた)を置いた二重虹梁蟇股とし、天井板を張らない化粧屋根裏とする点が特色である。内陣には中央に本尊阿弥陀如来坐像(国宝)、向かって右に地蔵菩薩坐像(重要文化財)、左に虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)を安置する。一般拝観者の入堂はできず、堂外からの拝観になる。講堂・wikipedia-photo
    ●上宮王院太子殿 – 広隆寺の本堂に当たる堂。入母屋造、檜皮葺きの宮殿風建築で、享保15年(1730年)の建立である。堂内奥の厨子内には本尊として聖徳太子立像を安置する。
    ●木造聖徳太子立像 – 像高148センチメートル。像内に元永3年(1120年)、仏師頼範作の造立銘があり、聖徳太子が秦河勝に仏像を賜った時の年齢である33歳時の像で、下着姿の像の上に実物の着物を着せて安置されている。本像には天皇が即位などの重要儀式の際に着用する黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着せるならわしがあり、現在は平成6年(1994年)に下賜された袍が着せられている。秘仏で、11月22日のみ開扉される。
    ●桂宮院本堂(国宝)-境内の西側、塀で囲まれた一画にある。聖徳太子像を祀る堂で、法隆寺夢殿と同じ八角円堂であるが、建築様式的には純和様で檜皮葺きの軽快な堂である。正確な建造年は不明であるが、建長3年(1251年)、中観上人澄禅による当堂建立のための勧進帳があることから、おおむねその頃の建立と推定される。堂内の八角形の厨子も堂と同時代のもので、国宝の附(つけたり)として指定されている。本尊の聖徳太子半跏像(鎌倉時代、重要文化財)は霊宝殿に移されている。建物は原則として非公開。上宮王院・wikipedia-photo
    国宝
    ●木造弥勒菩薩半跏像 – 広隆寺に2体ある弥勒菩薩半跏像のうち、「宝冠弥勒」と通称される像で、霊宝殿の中央に安置されている。日本に所在する仏教彫刻のうち、もっとも著名なものの1つと思われる。ドイツ哲学者カール・ヤスパースがこの像を「人間実存の最高の姿」を表したものと激賞したことはよく知られている。
    弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)・wikipedia-photo
    ●木造弥勒菩薩半跏像(通称「泣き弥勒」) – 霊宝殿に安置。像高90センチメートル(左足含む)、坐高66.4センチメートル。「宝冠弥勒」と同様のポーズをとる、像高はやや小さい半跏像である。朝鮮半島には現存しないクスノキ材製であるところから、7世紀末~8世紀初頭頃の日本製と見られるが異説もある。沈うつな表情で右手を頬に当てた様子が泣いているように見えることから「泣き弥勒」の通称がある。木造弥勒菩薩半跏像(泣き弥勒)・wikipedia-photo
    ●木造阿弥陀如来坐像 – 講堂本尊。像高261.5センチメートル。両手を胸前に上げ、説法印を結ぶ。『資財帳』及び『実録帳』の講堂の項に「故尚蔵永原御息所願」とある像に該当し、承和年間(840年頃)の作とみられる。永原御息所とは淳和天皇女御の永原原姫(もとひめ)である。巨大なヒノキの一材から頭・体の根幹部を彫出し、像表面には厚く木屎漆を盛り上げて整形している。二重円相の光背と裳懸座は一部に後補があるものの、当初のものを残している。木造阿弥陀如来坐像・wikipedia-photo
    ●木造不空羂索観音立像 – 像高313.6センチメートル。霊宝殿に安置。新霊宝殿が開館するまでは講堂外陣の東北隅にあった。奈良時代末~平安時代初期(8世紀末~9世紀初)の作。『実録帳』の金堂の項に「本自所奉安置」(弘仁9年・818年の広隆寺の火災以前から安置されていた、の意)として7体の仏像が列挙されているが、そのうちの「不空羂索菩薩檀像」とあるものに該当する。木造不空羂索観音立像・wikipedia-photo
    ●木造千手観音立像 – 像高266.0センチメートル。霊宝殿に安置。新霊宝殿が開館するまでは講堂外陣の西北隅にあった。もと講堂に安置され、現在は霊宝殿に安置。平安時代初期、9世紀の作。
    ●木造十二神将立像 – 像高は113 – 123センチメートル。霊宝殿に安置。『広隆寺来由記』によれば、康平7年(1064年)、仏師長勢の作。長勢は定朝の弟子にあたる。12体の作風はいくつかのグループに分かれ、12体すべてが長勢の作とはみなしがたい。片目をつぶり、矢の調整をしているさまを巧みに表現した安底羅大将像など数体が長勢の作に帰されている。12体の像名は以下のとおり(玄奘訳『薬師経』による名称。括弧内は広隆寺で用いている表記)。宮毘羅大将(金毘羅)、伐折羅大将(和耆羅)、迷企羅大将(弥佉羅)、安底羅大将(安底羅)、頞儞羅大将(摩尼羅)、珊底羅大将(宗藍羅)、因達羅大将(因陀羅)、波夷羅大将(婆耶羅)、摩虎羅大将(摩虎羅)、真達羅大将(真陀羅)、招杜羅大将(昭頭羅)、毘羯羅大将(毘伽羅)。木造十二神将立像のうち珊底羅(宗藍羅)像・wikipadia-photo]

    広隆寺資料リンク
    都名所図会」・「巻之四 右白虎再刻 太秦広隆寺 (広隆寺・一枚目)」、「巻之四 右白虎再刻 太秦広隆寺 (広隆寺・二枚目)」、「巻之四 右白虎再刻 太秦広隆寺 (広隆寺・一枚目)解説」、「巻之四 右白虎再刻 太秦広隆寺 (広隆寺・二枚目)解説

    佛教大学図書館所蔵・貴重書等のデジタルアーカイブ集」 – 「一般公開コレクション – 都名所百景 – 太秦牛祭

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