天龍寺

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    天龍寺(勅使門)天龍寺(総門)天龍寺(中門)天龍寺(八幡社)天龍寺(飛雲観音)天龍寺(法堂)天龍寺(大方丈)天龍寺(小方丈 ・曹源池)天龍寺(多宝殿)天龍寺(百花苑)天龍寺(北門)

    天龍寺
    [天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
    天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786年 – 850年)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242年 – 1246年)とその皇子である亀山天皇(在位1259年 – 1274年)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。
    足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。尊氏は暦応元年/延元3年(1338年)、征夷大将軍となった。後醍醐天皇が吉野で崩御したのは、その翌年の暦応2年/延元4年(1339年)である。足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。いわば「かたき」である後醍醐天皇の崩御に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。
    天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約950万平方メートル、現在の嵐電帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)あたりにまで及ぶ広大なもので、子院150か寺を数えたという。しかし、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。中世には延文3年(1358年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)と、6回も火災に遭っている。応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、江戸時代文化12年(1815年)にも焼失、さらに幕末の元治元年(1864年)、禁門の変(蛤御門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。
    方丈の北側には、宮内庁管理の亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵がある。(亀山天皇陵・wikipedia-photo、後嵯峨天皇陵・wikipedia-photo)  (wikipedia・天龍寺より)]

    グーグル・アート・プロジェクト – World Wonders – 「古都京都の文化財:天龍寺

    天龍寺の除夜の鐘 | 京都旅屋 ~気象予報士の観光ガイド・京都 .

    天龍寺公式ホームページ」 – 「境内・山内案内

    天龍寺(てんりゅうじ) | 右京区|京都桜特集|ほっこり京都生活」、「天龍寺 桜

    天龍寺(庫裏)
    [境内東端に勅使門、中門があり、参道は西へ伸びている。これは、通常の禅宗寺院が原則として南を正面とし、南北に主要建物を並べるのとは異なっている。参道両側に塔頭(たっちゅう、山内寺院)が並び、正面に法堂、その奥に大方丈、小方丈、庫裏(くり)、僧堂、多宝殿などがあるが、いずれも近代の再建である。  (wikipedia・天龍寺より)]

    勅使門(旧伏見城移築城門) – Google Map 画像リンク」、「天龍寺法堂(選佛場) – Google Map 画像リンク」、「天龍資聖禅寺 (天龍寺) – Google Map 画像リンク」、「天龍寺 曹源池 – Google Map 画像リンク」、「天龍寺 多宝殿 – Google Map 画像リンク

    カメラ西方向が右が庫裏玄関、左が式台で、その左・カメラ南西方向が大方丈です。また、カメラ北東方向に鐘楼があります。

    カメラ北北東方向が天竜寺僧堂南門(入場不可)で、南門右に鐘楼があります。天竜寺僧堂南門先には後嵯峨天皇 嵯峨南陵があります。

    天龍寺資料リンク
    都名所図会」・巻之四 右白虎再刻 天龍寺巻之四 右白虎再刻 霊亀山天龍資聖禅寺(天龍寺)解説
    都林泉名勝図会」・巻之五 天龍寺(一枚目)巻之五 天龍寺(二枚目)巻之五 天龍寺解説巻之五 雲居菴(禁門の変で焼失)